頭痛が痛いは間違いじゃない

  • 2010/05/15(土) 22:04:06

「頭痛が痛い」

「頭痛がするが痛いと言うほどではない」場合もあるように
私はこれにさほど違和感を感じない。

「頭痛が痛い」そう口にするとき、

頭痛(の程度)(声に出さずには居られないほどに)痛い
頭痛(の具合)(シクシクとした感じに)痛い
…等というような省略が暗に含まれているのでしょう。

なにより、普段、痛くなくても、頭部に違和感があれば、それを頭痛と表現するでしょう。「頭が痛い」と言う場合、痛いという言葉の持つ“弱音”のニュアンスをそこに含むが、「頭痛」という場合、それを感じさせることはない。故に、今の自分の痛いという状態を周囲の人に訴えるためには、「頭痛が痛い」と言わなければならないのだ。

  • 2009/10/30(金) 19:54:29

科学に、神を否定することは出来ない。

できるのは、迷信を偽神を暴くことのみ。
科学によって否定された「神」が、
「それまで神だと思われていた迷信」
だったことの証明であり、神そのものの否定
ではない。


科学が証明してきた結果は全て、
神の実在の証拠だ…とも言えるものだ。

神とは、そもそもにおいてそういうものだ。

あってあるものなのだから。

カタカナ語の要

  • 2009/10/29(木) 12:49:14

人は、聞き慣れた言葉であれば、
その意味を、内実を、本当に正しく認識して
いなくとも、分かった気になっているものだ。


だからこそ、あえて聞き慣れない言葉を持ち出し、
その用語を説明する課程において、
「なんだ○○か」と思われてしまう前に、
失念してしまっている本来持ち合わせていた
今後の説明に必要な概念を要素を頭に留めさせる
ように誘導できる。


その一つが、外来語直利用のカタカナ語が、
全く新しい用語を創出するより楽であり、また、
無意味に無駄な用語を増やすことも回避できる。


例>
ロコモティブ・シンドローム
…それって要は、運動不足でしょ?


言っちゃえばそうなのだろうけれど、
「運動不足」という言葉の持つニュアンスの中に、
子供が叱られて注意されているような、
単なる怠け者であるかのような情緒がある。

そう言われると、幼稚なことと問題を見下したり、
子供扱いされたと不愉快に感じてしまったりして、
問題の本質に耳を傾けるまでに行かない。

…のだと思われる。

そこで、新しい伝染病のような、新発見の病気のような
不安を伴ったものとして、カタカナのよく分からない
「病名」として「知っていますか?」と持ち出されれば、
身構えて聞くことになる。

結果として、「要は運動不足じゃん」と思ったとしても、
そう気づくまでの課程において。単なる運動不足であっても、
それが馬鹿には出来ないこと、かといって手遅れでもないこと、
その必要性や、自分の考えた至っていなかった側面などを、
知ることに、学ぶことになる。



いちいちカタカナ語を持ち出さないならば、まず得られない
であろう体験を知見を、そこでは得ることになる。