丑年経過

  • 2009/12/31(木) 23:59:59

























■あおじ/冷静に■■あかじ/感情的に■■みどじ/蛇足的に■■きいじ/冗談的に■
■こいじ/強調を■■めいじ/念を押す■■きえじ/自信無し■■うすじ/補足・注記■

マニフェスト原理主義と言う者

  • 2009/11/09(月) 21:18:53

マニフェスト原理主義なのは、与党民主党なのであろうか?


私には、むしろ逆に野党の側なのではなかろうか…と思える。



それは、例えば、与党の政策・対応に対しての反論が常に、

マニフェストに書いてあれば
 → 「マニフェスト原理主義だ!!」


マニフェストに書いて無ければ
 → 「マニフェストに書いて無かったじゃないか!!」



それはそれとして、結局貴方は賛成なの? 反対なの?
この国の政治をどうしたいの?!


目標や理念が見えないのは、どちらでしょう?

それでは、反対のための反対にしか聞こえない。



民主党のマニフェストに書いてあろうが/無かろうが、
自分たちが正しいと考えている党の理念やビジョンに
照らし合わせて、どう違うのかに基づき、何故批判
しているのか。


…そのような論理によってこそ批判を展開すべきでしょう。




であるのならば、マニフェストに書いてあろうが/なかろうが、
そんなことは批判の根拠にはなり得ないはずだ。

そして、マニフェストに書いてあろうが/なかろうが、
変節に見えようが/原理主義に見えようが、
自分たちの方針に合致しているのならば、支持を表明
すべきであろうし、違っているならば、堂々と批判すれば
よい。それだけのことである。

そのような対応が取れないのは、為にする反対に終始
している
か、その者自身がマニフェスト原理主義に
陥っている
と言えるのではなかろか…と指摘しておきたい。




ちなみに。
自民党やその支持下にある者の発言には常に、
民主党には国家ビジョンが無い。見えない。
というものがある。

そうとしか思えない理由もよく分かる。自民党政治は、
常に、画一的な価値観を提示し、見習うべき生き方の
手本のようなものを提示することによって「政治」を
行ってきた。
それ故に、悪平等とすら言われるような
窮屈な矯正圧力の強い社会を作ってきたのであろう。

そういう社会を目指さない。多様な価値観の許容される
社会を目指せば、そのような社会にあって生き生きと
生きてきた人たちは、これからはどうすれば正解なのか
判らずに不安になる
のも自明であろう。
高度経済成長と護送船団方式を もはや止めるのであれば、
そのような「国家ビジョン」や「国の行く末」などは、
見えないのが当然であり、それは批判には当たらない。

そして、国家ビジョンが無い。見えないと言い続けて
いる人たちというのは、国がどの業界を優遇するのか
という意味での方針を示すことを求めており、それを
いち早く確信することで、誰よりも早く勝ち馬に乗ろう
という処世術
で生きてきた者が、おなじ処世術を
続けてゆきたい/国とはそのようなものであるべきだ…
そうであって欲しい…と願う者の発言であろう。と思う。

確かに、国の官僚の無謬神話の下では、国が、しかるべき
地位にある者が言ったことは、必ず100%実行される。
後戻りの出来ないものである。
であるならば、その「確実な未来」には安心して、
確実に儲かる事として、何らリスク分散する必要もなく
大規模に「投資」することもできる。そのような
投資行動のあり方が可能であり、大儲けと急成長できた
のが、高度経済成長と護送船団方式であって、いくら
口先でそれを否定していても、あまたの中の基本的な
処世術は、そこにどっぷり浸かったままなのであろう。

社長が一番働く店

  • 2009/11/08(日) 08:56:20

働き者のトップがそうでないトップと比較して、
経営的に道徳的に賞賛されるのは、当たり前だろう。

しかし、その中にも
評価を大きく隔てる二つのタイプがある。


一つは、
「自分が これほど働いているのだから、平の従業員は、
 それ以上に働け、出来なきゃ給料泥棒だ。」
と、プレッシャーをかけ続ける存在。


もう一つが、
「自分は これほど働いているのだから、それ故に自分が
 トップとして居続けられるのだ。皆もよく頑張っている。」
と、考えて、周囲に感謝を振りまくような存在。



後者なら、笑顔に溢れた活気ある職場になるであろうが、

前者は有害な場合だってある。怨嗟すら蓄積しかねない。


前者で言えば、例えば、一日睡眠時間三時間でバリバリ
働いていられる存在というものは現に居るのであろう。
が、そのようなことは、潜在的には誰にでも可能である
としても、直ちにそのような体質に変われるわけではない。

体質的に耐えられないにもかかわらず、睡眠三時間の
生活をムリに続けてゆけば、確実に集中力は失われ、
続けるほどに精神を病んだり、体を壊してしまったりする
ことにもなるであろう。これが根性論だけで何とかなる問題
ならば、昨今の過労死問題など起きてきやしなかっただろう。