「国学」ってのは保守なのか?

  • 2006/12/16(土) 22:12:58

現時点での私の認識は、

鎖国状態の独自な日本文化を「国際標準」とするための
下地となったもの。

海外欧米諸国の「常識」を日本人に刷り込むために、
日本の古典を「利用」して作られたものであろう。

儒教一色の現状を中国文化の支配下と読み替えるのは、
大化改新から平安時代にかけて日本が行ったことを
否定しているかのように思えてならない。

あの時代を経ている日本文化はすでに大陸文化を否定し、
独自の文化に回帰しているといえるはずだ。


戦国時代の認識からもちょっと違う。
西欧キリスト教文化圏が日本を植民地化しようとした時代の混乱が
戦国時代であって、戦国末期にキリシタン追放を行ったのは、
そういうことだろう。信長の天皇否定やそれを未然に誅した明智の
行為こそが、日本の独自性の維持だったろう。

そうして作られた日本文化を江戸の統治機構を、国学は揺るがす
ことになったはず。

その延長線上に「開国」が許容されたのではなかろうか。

その後の西欧信仰と言えるほどの自国文化否定や、
西欧的価値観によって天皇家の国家観を改竄されて
いったのにも、そのような海外からの侵略的影響の
間接的な「成果」と思っている。

だから、役割を終えたからこそ容易く消えていったのだろう。



現代の信長人気(信仰)には、海外文化の侵略的行為を肯定する
価値観に後押しされているように思えてならない。

過去にないほどのアメリカの属国化を強めている新世紀の日本政府が
過去にないほど「日本文化尊重」だとか「愛国心」を叫んでいるのが
重なって見えてくる。

戦前の日本が同盟国をコロコロ変えた中で大正末にアメリカと親密
であったことも重なる。戦前はアメリカにいいように踊らされて
結果的に敵対し開戦に至ったのも、近親憎悪に近い側面もあったのでは。



江戸時代に入り国内から一掃したかに思えた耶蘇の価値観が、
様々な価値観の中に残り、新たな体裁を持って現れたという
側面もあったのではなかろうか。

意識の上から綺麗に一掃したが故に、その残滓の中に…庶民感情
の中の民主的…つまり反政府的な…価値観や、神と個人とを
直接関係付ける求道的な道徳の基盤の中に儒教的価値観と矛盾する
それらを見出し、それがあたかも幕府以前にはあった至極日本的な
伝統文化そのものの残滓であるかのように錯覚し、執着した…と
いうこともあったのではなかろうか。



今だって、ナショナリズムにセットされているかのように
反中・反韓が叫ばれている。

仏教や儒教が排斥された幕末明治の運動の中にも、新たな西欧的
価値観を導入する下地として、現行の文化的基盤を破壊する
“起動力”に、近隣国への脅威と潜在的な不安を掻き立てられて
いた側面も無くはないはずだ。





そもそもあの国学の発起が、
新教徒以後の…革命以後の西欧各国が、その民族的アイデンティティを
高めるために、例えばメルヘンの採集をする事によって…キリスト教
前史を、そこに眠る神話を、その宗教的精神を、掘り起こそうとしていた
“あちらの”作法に大きく呼応するものを感じざるを得ない。



戦国時代に起源を持つような神社は、その体裁がどんなに
“日本的”であっても、当時入植した異文化コミュニティが
関わっている可能性を見逃してはならないように思う。

幕末活躍した龍馬や、その縁者の神主が易々とロシア正教の
司祭になったことだとか。単に神意に打たれた言うに留まらぬ
因縁がそこにはあったのだろう。


他にも例えば、
フリーメイソンのような世界的秘密結社の存在を隠すために、
アメリカでは宇宙人説によって疑惑を誇張して喧伝した。
江戸時代に作られた河童や天狗の伝承も、当時暗躍していた
宗教的秘密結社…隠れキリシタンネットワーク等…を隠すため、
平安からの寓話化された伝承を利用し改竄したのではなかろうか。






何より儒教はキリスト教とは根元的に相反する文化形態である。

キリスト教の例えば三位一体というドグマは、父子関係を
オイディプス・コンプレックスのような敵対関係として
切り離すことによって、その文化伝承を精霊のような形で
宗教が補わざるを得ないようにし向けることで求心力を
担保している。

儒教の根元的な孝行の価値観は、文化の潤沢な父子相伝であって、
根本的に相反する価値観である事は、これによっても目に見えて
いるでしょう。


本居が社中(結社)を名乗っているのも、師弟関係を系譜としたのも
どこかフリーメーソン的な組織を連想させる。

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