聞くべき「子どもの言葉」

  • 2006/08/27(日) 18:51:56

子どもの言葉を聞くべき」と言うと、
反対派からは辛辣な反論が返ってくる。

未熟な子どもの主張をその言葉のまま受け入れるのか?」と。


「子どもの言葉を聞く」という言葉の意味はそんなものではない。
子どもの主張そのものの中に、その子ども自体を掌握し、大人が
“子どもを手のひらの上で転がす”ために必要不可欠な手段である。
だからこそ、「子どもの言葉を聞く」事が、等の大人にとって必要
なことであり、そう振る舞った方が楽で容易であるはずなのだ。

「洗脳原論」のデ・プログラミングにしても、
「窓際のトットちゃん」の園長先生だってそう。

「子どもの言葉を聞く」ということは、WIN-WINの構図でもある。
“喋り尽くさせる”ことで相手を無防備な丸裸にするのだ。
語るに落ちる」という言葉もあるではないか。



しかし、何故今時の「大人」には、それが出来ないのか…?

一つに、戦前から高度経済成長期までの、…切羽詰まった緊急事態にあって
問答無用のまま、力と権威で服従させられてきた状況…が、物心に染みついる
ものでもあるので…それこそが平常の状態である…として捕らえている
のではなかろうか。

とはいえ、その常識にも断絶はある。
敗戦間もない混乱期〜高度経済成長が軌道に乗るまでの混沌の期間では、
大人にもその余裕が…いや、余裕とは不適切か…目的の見出せない迷いや
目標も無く打ち込む仕事も無い時間を子どもに向けていた断絶期間がある。
その時代の落とし子たちは、判っているはずなのだが。

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