私欲と公益

  • 2006/08/20(日) 12:47:16

例えば、「オリンピック金メダル」という夢ならば、
同じ日本人として共有可能な夢であろう。
(もちろん同じ夢を懐く者にとっては利害対立するが )

大衆規模で支援賞賛できる「私欲追求」である。

それとは別に
例えば、「大豪邸に住んで悠々自適な生活がしたい」
という夢ならば、一般的に公的に共有し難い夢であろう。

誰かが利益を得ると言うことは直ちに他の誰かの不利益が
欠かせないからだ。

とはいえ、直ちに糾弾すべきかどうかは、別の話。
その「目的のための手段」が問われる。


仮に全く同じ夢でも…、

他人を騙してでも私利私欲の為だけを追求している
のであれば、公益に悖る夢であると言いうるだろう。

しかし、
社会貢献をする。社会福祉を増進する。新たな技術、
インフラ整備等々…の公益に即した仕事を、その仕事が
社会に認められ、貢献が形として現れた結果として、
「その業績に見合った住まいに住んでいて欲しい!」と
大衆から押される過程を経るならば…さてどうであろう?




また別の観点から…。

「自分だけの、とにかく豪勢な家を、建てたい。
 交通の便の良い場所ならどこでもいい。」

…という成金的な夢と比べて、

「街の景観が乱れる一方なのを憂えている。
 自分はこの街の伝統と文化を凝縮した
 この土地の景観に適った風景を
 少しでも取り戻すために、微力ながらでも
 自分も貢献したい。」

…このような考えに基づく夢ならば…、
その萌芽がどんなに利己的で私利私欲から始まっていた
としても、結果的に公益に適う夢へと昇華せざるを得ない
のではなかろうか? もし、それを独断先行で行っても、
決して望む結果は得られない。

周辺住民の評価あってこその夢であるのだから。

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