クリエイターは世の循環とどう向き合うべきか

  • 2007/09/16(日) 23:19:49

先日、下記URLのブログに突発的に(私としてかなり久しぶりに)足跡を残した。

妙訝>
言っちゃえば、すでにこの人類は補完されているんですよね。部分的に。
例えば2chってのは完全にそんな存在。…個人の区別も境界も無く繋がれた世界として。

人類補完計画を夢想するしかなかった旧世紀の人間と、補完された世界を実体験しその中で試行錯誤を経てきている新世紀の人間の違いを感じます。

そして旧世紀の人間にはあったり前な「前提」を「結論」として受け容れるんだろうな…と思わせられます。と言っても決して低く見ている訳ではありません…常に新しい世代は、前の世代の「結論」を自明の「前提」として育つものだから。常にそれらを結ぶ論理は転倒せざるをえない。…伝わるかな。

変な足跡ですが、残したくなったので…御無礼。



先方の応答が必ずしも間違っているとは言えないのだけれども、
おそらく伝わっていない部分を補おうと補記を考えていた…
…のだけれども、長く成りすぎ。圧縮してよいか…迷いの末、
ともかくここにだけでも載せてみた。

先方には返答もせずに放置している。TBくらい送るべきか‥。





-=-=-=-=-=-=-
求める者の異なった異なっているであろう存在を、それぞれ共に満足させるには、どのような構造をもってそれらを見せるべきか…って言う意味においては間違っていないのですが…。

んー…。
後半の記述は作品の内容ってよりはもっと一般的な話です。

私感で喩えると…、世紀末前後からのエロゲーの評価などは、その論点が聞いていてなんか小学生の感想文のように感じたものでした。昔聞き古した評価を「嘗て無い」と言わんばかりの感動っぷりに興味を覚えたものです。
思うに、'80年代からの年少向け作品(少年誌もアニメも)は、その当時の流行の中心世代と共に対象をスライドさせ、'90年代は実対象年齢ほったらかしのパロディと観念の固まりとなり、後の世代の共感を全く得ないまま進んできたのだろう…と。ディテールばかりでそれら作品の寓意の中身が全く伝わっていなかったから、エロゲーに代表されるシミュレーションゲームのプレイヤーを焦らす間延びした表現が、それまでの作品の解説や手引きを誘発する基礎的・虎の巻的な衝撃を、下の世代に与えたのだろうな。…と解釈したものです。解釈と共感のし得る時間的猶予の伴った表現が、体験と虚構の混交醸成を促したと言っても良い。その拘束時間的抵抗感から私はそれらを実際にプレイしてやいないけれど。
それらエロゲーも、アキバ系なブームと共に、一般向け作品として、相応しい対象者に向けて発表されることとなった。ここ5年の子供はそれらをも見て、それらと同系の子供物も'90年前後のような「愚かしい子供騙し」とされるでもなく、正当な評価と共に受け取られていた事でしょう。ココに基礎と応用の逆転のようなものが見て取れるでしょうか?

世代ではなく年代メディアが作る輪廻



同じように、下の世代を感心させる結論は、上の世代にとっては何が良いか判らないものになりうる。上の世代に照準を合わせれば、下の世代にとって難解に為りすぎたり、逆に当たり前すぎる印象を与える。下の世代に照準を合わせれば、喩えヒットしたとしても、上の世代は何が良いのか しばし理解できない。
作家はそのような二律背反な葛藤に曝される。エヴァは特にそのアクロバット的な両立を求められるから難しい。

エヴァは当時、語りたがりの30代(40代?)のけたたましい蘊蓄と、それらに威圧され何だかスゴイのだろうと評価が先行していた。同時に比較的純粋な10代がそれを素直にスゴイと感じ得た絶妙なタイミングにあった。子供らはそこに大人への近道としての世界の縮図を見、貪欲に…作品というよりそれを通じたオタクの世界を、ひいてはアカデミズムの世界を見、その後学んだことを逐次そこに当てはめていった。そんな先としての10後年になっているのではなかろうかと思う。
当時の20代は擦れた上の世代の主観的評価に晒され、幼きから「子供騙し」としての認識の上で殆どの娯楽作品と向き合い、斜に構えて深く共感するでもなく衒学的に付き合っていたので、立ち位置が曖昧なまま…故に比較的容易に…両者の橋渡し役を演じたことだろう。

尚かつ、1990年代と異なり、今は既に「矛盾・破綻した物語でも、情緒的に釣り上げられる感情的フックを幅広く準備しておけば広く評価される」という状況ではなくなっている。新世代の物語の構造を見る目が育っていることと「萌え」によってカテゴライズされた感情フックがそれらを俯瞰的に見られるような環境もできている。

そんな今は、物語を評価する上で、どのような素養の上にどのような結論を導くために、どのような論理を持ち出してきたか…そのような評価が求められるように私は考える。
10年を経て、当時のような偶然のタイミングによる大ブレイクの期待できない中、視聴者の側がそのような評価の目を持っているかどうか…。彼の作品の評価は作品の出来不出来以上に、そこに懸かっているのだろうと思ってます。

「萌え」なる言葉を取り巻く概念

  • 2007/09/16(日) 22:41:21

時代の主観…流行を支えた観念の中心が、概念世界のどの辺りを流れ、
何処へ向かっているのか…を「萌え」という流行語から俯瞰してみる。
「萌え」なる言葉を取り巻く概念




追記>
萌えを囲う三角の点線部分、菱形にして右下のロリ周辺を含めるべきだったかもしれない。
「萌えフォビア」なる形容の対象となっているのは、やはりこの部分であって、この辺りをこそ「萌え」と呼称する対象だ…と考えている層も無視できないほど多いように思えるから。

'90年代のペッタン胸

  • 2007/09/16(日) 12:59:40

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この「宇宙英雄物語」では、すでにヒロインを「ペッタン胸」として
設定している。同じ時代の大漫画家・高橋留美子の「らんま1/2」も含め、
共通している。



当時のそれは、フェティッシュで純粋なチャームポイントとして
描かれていやしなかっただろう。あれが求められ支持されたたのは、
おそらく「コンプレックスを逆撫でする」という男性のサディスティックな
欲望を満足させるための関係構造を成立させるための小道具に過ぎなかったろう。

オタク界がそうであったのは、実社会の恋愛事情がそれに対するように
「アッシー&ミツグ」の言葉に象徴されるような ある面における女性優位な
世情に対する自慰的な役割を担っていたからなのだろう。





今、20代前半程度のアキバ系と言われるオタクの一群が、「萌え」を
素直に受け容れているのも、この時代のスリコミ(表現者の意図に反する)が
ある意味、効いているからだろう。

ただ、注意してみなければならないのは先に挙げた両作品を含めそれ以外も、
「胸無し」も「大巨乳ではない」と言う意味であって十二分に胸の張った
人物として描かれている(…っても女性を表す「漫画記号」としてのソレ
だったろうが)。
今「萌え」との言葉で表現されるような幼児体系とは相反している。

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