外来種繁栄必定の常識

  • 2009/07/16(木) 16:00:01

「強い海外種が 弱い在来種を 駆逐する」
→「弱いから 守らねば ならない」


それは、敗戦後の日本人の心情に、相当に
マッチしていたのだろう。
大衆がシンパシーを覚えてしまうのも判る。

狭い島国根性は、
広大な大陸に磨かれたモノには、
決して敵いっこないのだ…と。



しかし、こうも考えられるだろう。


戦後いや、明治開国以来、人間が、
日本国土を西欧化してきた。
外来種にとって都合のよい環境を
せっせと造り上げてきた…が故に、

あたかも外来種のために、彼らが
増えるためのお膳立てをしている。
していた…と言って良いほどのことに
なっている。





真相はおそらく、
それらどちらでもなく、単なる相性の問題。
総合的にどちらが強いとは言えない。
新因子で環境が変わり馴染むまでの
移行期に、たまたま大きく変動したもの
偶然性の結果。一時的なものでしかない。

そう言うべきモノが多いのでしょうが。

ただ、最初に上げた「常識」を補完するには、
今私の上げた「見立て」も、そう悪いモノでは
ないのではなかろうか。

中程度撹乱仮説

  • 2009/07/15(水) 18:28:15

過剰な平等主義が悪平等と言われるのは、
社会の不安定さを引き起こしている原因だと
されているのは、不平等がまかり通っているから
というよりも、その僅かな悪をも許さない徹底さが、
かえって優勝劣敗を加速してしまうからだろう。
実際の所は。

中規模攪乱仮説
その観点から、金持ちから高い税率で税金を徴収する
ことは、理に適っているはずだ。

税金を毒と読み替えてみればよく解るだろう。
毒を悪として根絶すると、大型生物(金持ち)しか残らない
単純な社会となってしまう。多様性が失われる。
つまり、絶滅の危険性が高まる。

それを改善しようとするコストが、膨大となる。
海外からの驚異に対してミサイル防衛に頼ったり、
高い保険だとか、膨大な貯蓄に走るように。



しばしば「金持ちへの重税が労働意欲を奪う」と
言われる。

しかし、税金を払うのを嫌がるような連中に
大金を持たせたままであることの害悪を
考える必要があるのではなかろうか。

彼らは、税金を払うくらいならば…と経営上
あえて無駄な出費を行ったり、わざと赤字と
なるように形だけの投資を行う。

ここで思い出されるのが、手塚治虫だ。
彼は、長者番付一位を逃したからと、
税金対策を行った者を叱責したとか。
いろんな意味でありがたい存在だった。
今の時代個人的にはバカだと言われるであろう
エピソードだが。

動機は見栄でしかないのかもしれないが、
見栄を何のトクにもならない無駄だと考えて、
表では 庶民面、貧乏面を振る舞いながら、
裏では 使うアテのないカネを ひたすら貯める
ことだけに生き甲斐を持っているような輩
と比べ、
立派な生き様だと言えるのはどちらだろうか。

世間の中でのみ生きること

  • 2009/07/11(土) 15:55:48

その人にとっての全世界。それが世間である。

ここで言う全世界とは、言葉通りの意味ではない。
言葉通りと言う言葉は、言い換えれば「知識」だとか、
「教養」だとかいたものに置き換えられるような意味
である。


世間が全世界であるとは、どういうことか。



例えば、子どもは家庭が全世界である。
赤子は母の胸の中が全世界である。

自分が直接関わり、その関係性が壊れれば、
自らの身に危害が及ぶ関係。自己の存在を
規定する範囲。それがその人にとっての世界であり、
その意味に於いて全世界である。


それが延長されてゆけば、小学校の自分のクラス。
自分の所属する学校…および、ご近所さん。
校区、地域、市、県、国、全世界…と拡張されて
ゆくのだろう。


昨今、親殺し親族殺しが問題視されているが、
その者(犯人)にとって家族が全世界となって
いるから、その範疇での解決にしか頭が回らない。
自らの不遇を解消する手段が家族との関係にしか
ない。故に、自らが限界まで困窮しても、
その殺意は家族にしか向かない。

同じように、友達関係が全世界になってしまって
いる学生は、友人を殺すことになる。

ちなみに、
昨今海外からの評価を一切気にしない
若者が増えてきている。一面では、戦後世代の
欧米崇拝から脱却した自尊心の表れだ…と評価できる
のであるが、一方で、国際的な評価が自国の経済や
国内情勢にも影響があり、自分の生活にまで危害が
およぶ関係性が見えなくなっている表れでもある。

この意味で、戦争も、国の視野が隣国で視野狭窄に
なった時に、それ以外の解決策が見えなくなって
起こる。と言えるかも知れない。



これは、知識・教養として、テストされて
筆記で堪える事ができる…というような
意味で「知って」いても、そのようなものは
ほとんど関係ない。知らずに困窮している者に
教えてあげることが、一縷の光として救いの
切欠を与えることになる場合もあるだろうが、
限定的空間を全世界と感じてしまっている
ような状況に陥っている者に、広い世界に
対する知識が無いのだ…とは言えない。

それが、おそらく半世紀前よりは知識的に
よっぽど賢くなっている若者が、老輩の目から
軟弱な若者としてバカで愚かにしか見えない
思えない事とも通じている。