勤労道徳

  • 2009/01/21(水) 18:04:22

遣村の一部サンプルをもって「若者論」的に甘えを論い、
過酷な労働に甘んじるべきであるかの如き論説が耐えない。


そのような論調は、
そのような立場に成り得る不安を抱えた大衆の多くからも、
自尊心を奪い、敵意を醸成することになるだろう。

それは同時に、
富裕層に同朋への蔑視の感情を増長させるとともに、
転落の恐れを募らせ、庶民との接触を断ち、
不安を埋め合わせる蓄財に向かわせることになる。

また、現実差別的視線の中で低賃金労働をしている者は、
そんな侮蔑への慣れから、屈辱に甘んじることにも慣れ、

国に自尊感情を持ちたいの望む…覇権的右翼の叫ぶ
自決的独立運動に共闘することを止め、属国の如き
“虜囚の辱め”なんてものに頓着することの無い
目先の損得にしか関心の無い態度へと固定化させる
ことにもなろう。



さて、一億玉砕とも言われた戦中の日本にあって、
「生きて虜囚の辱めを受けず」というような自尊心を
どのように担保していたのだろう?

そんなものもとより無く、体面上従っているふり
をしなければ、当に生存権を失うほど、逼迫して
いたからだろうか?


多くが仮に貧しくとも、自らも共同体の一員であると
強く信じることのできるほどの祖国からの恩恵を、
信頼感を、政府が勝ち得ていたからだろうか?


ブッシュのアメリカのように、海外の驚異を
ことさら煽る事によって、民衆の利己的自己愛を
自衛の手段が他には無いと信じさせる事に成功
していたからだろうか。



そして、今後の日本も、必ず訪れるであろう
国内の世情不安に対して、どのような対策を
選択するのであろうか。

政治への関心の良否

  • 2009/01/20(火) 18:22:40

政治への関心の高いことは、良いことではない。


安心をし、生活が行えているならば、動機的に
政治に関心を示す必要は無いからだ。

また、遅々とした「民主主義政治」の成り行きを、
多くの国民が注視しなければならないということは、
個々人を見れば、それだけの時間を実際の生産活動が
おろそかに、手つかずになっているということでもある。
これは実労時間を言っているのではない。

安心できる社会なら、休日の娯楽で経済刺激をする
のみならず、自分の仕事の能率UPのために、また、
新しいビジネスモデルのために、妄想を、想像を、
膨らませる時間ともなるからだ。

それら一切が、例えば国会議員の言葉尻と、
その解釈にばかり向けられ、奪われている
ならば、国全体の生産力は下降してゆくばかり
であろう。


実際、日本が高度成長を続けていた時期とは、
政治が安定し、国民の関心が政治から離れて
ゆく過程でもあった。



もちろん、ここ20〜30年、政治の関心を高める
ことが「正しい」とされてきたことにも、
全く理が無いのだと言うわけでもない。

誰も見ていないと判ったら、そこでは
“悪事のやりたい放題”になるからだ。


そんな不正と汚職の中でも、国の富は滞り、
必要な場所に流れなくなれば、実際の生産活動は
成り立たなくなる。国力衰退の一途でもある
からだ。

成人年齢問題

  • 2009/01/19(月) 18:02:42

一本の線を引いて、全てがなんとかなると
考えている所が問題であり、

私は、ライフステージをそんな一本線で断絶
させることによって生じる問題の方が有害である
と信じる。


名目だけの責任だとか言ったところで何も変わるまい。



かつてのピンク街が寂れたのも、そこに通っていた
「オッサン」の多くが、実際には十代そこらであった
からであろう。唐突に聞こえるであろうが、その頃
「子ども」が勉学を怠って成人娯楽にうつつを
ぬかしていた…なんて言い出すのではない。
そのような認識が微塵も残っていないのは、当時
日本は、大多数が高卒・中卒、それ未満で働いて
いた時代だったのだ。大学進学率2割以下の。

さて、そんな二割以下の一部、大学進学エリートは、
当時どうだったか…。良く言えば「責任感」から、
傲慢にも世界を論じ、闘争に荒れ狂っていた。

当時の過去の極一部のエリートと、今日の平均的
若者像を比較して、嘆いてみせることに、どんな
意味があると言うのだろうか?!
…ここでは、そんなことを指摘しておきたい。




“実体として”、世の大人たちは、為政者は、
若者をどうしたいのであろう。


「若者の責任」と持ち上げて、労働市場に動員
したいのだろうか。かつてピンク街を賑わせて
いたような社会情勢を復活させたいのだろうか。

ただ、消費家として持ち上げられている「アキバ」と呼ばれるオタク市場は、
嘗てのそれと同じような規模で、労働者ではなく学生を性的に過剰なほど
満足させている。