「影響を想像できないのか!」という非難の陰で…

  • 2008/04/28(月) 12:19:34

100%大丈夫だと言えることしか、してはならない。
という価値観を共有してしまえば、

想像力の欠如した者しか、行為が為せなくなる。


どんな有り得ないようなことでも、想像力豊かに考えてしまう者は、
行為の結果の両端を、それぞれ思い至ってしまう。彼が行為に出る
には、どこかでバランスを取り、どこかで踏ん切らないといけない。

それをも「考え無しだ」と言い切ったり、
自分の行為の結果・影響をもっと考えるべきだ
としてしまうと、将に

想像力の欠如した者しか、行為が為せなくなる。



これで何か思いつかないだろうか…。

100%の官僚無謬信仰だ。
その“お役所仕事”の煩雑さの中にあって、
何故にこんなに愚かなことをしてしまうのか。
何故に馬鹿だとしか思えないような事を強行してしまうのか。
その答えも、ここにあるのではなかろうか。

何のための煩雑さであり、チェック体制なのか。
安全確保のはずであったのに、結果は本末転倒になっている。
もはや煩雑さは、安全の担保には何もなっていない。

無謬神話に執着するが故に、また責任を担保しすぎるが故に、

想像力の欠如した者しか、行為が為せなくなる。

…そのことが原因であるのではなかろうか。

合理化時代の街路樹のように…

  • 2008/04/27(日) 12:04:39

今の政治・行政は、街路樹のようだ。

見えない目立たない「根」を、切り込んでいる。
根を狭い鉢に押し込めながら、

地上部分だけは、羽振り良く、目立たせようとしている
のに似ている。

都心に住民を集めて一元管理すれば、財政抑制になる
と考えているようだ。
手先の数値操作のようなもので、景気が良いと見せかけ、
二極化の実体から目を背け、貯蓄ゼロ世帯を増やした
上前をはねているだけの大企業を、史上最高の黒字だと
好景気の根拠としている。まったく実体がともなっていない。

そんな、小手先で見せかけの剪定をしても、木は枯れる
どんどん弱ってゆくばかりだ。

大風でも来れば、簡単に倒れてしまう。





…災害報道の映像を見ていると、防風林の役割を全く果たせない
街路樹のその姿を見ていると、そこに日夲の今を見る気がしてくる。

パパートの原理の影響下にて

  • 2008/04/26(土) 12:26:36

「あとちょっと、あとちょっと」でゲームに填り込んでしまう子どもも
「まだまだ欲しい、まだ欲しい」と使いもしない金を死ぬまで貯め込んで
しまう企業文化の賞賛の対象足る企業戦士も、

それを突き動かしているものは、その「パパートの原理」であろう。

いうなれば。



しかし、また逆に思う。

パパートの原理のサイクルが早く、その影響下に強くあるのは、
筆者の思惑とは逆で、
ちびデジタル子ちゃんやアナログしんちゃんの方であるのでは。

子どもの脳と仮想世界―教室から見えるデジタルっ子の今
戸塚 滝登
岩波書店
売り上げランキング: 25413

この筆者がパパートの原理で説明したがった事例の方が、
そのサイクルが短く弱い…と言えるのではなかろうか。


パパートの原理。
その無限のサイクルは、決して人を安心させない。
永遠に人を突き動かし、満たされない感情に留める。
そこから抜け出せないことは、一生満足できない修羅の道でもある。

多くの客観的な「成功者」と言われる方々には、その地位にあって
まだ上を目指し、自分を恥じながら、他人と比べられるのを恐れながら、
劣等感と戦っている。


思うに、子ども時代における公文式というものは、
言ってみれば脳に高速道路網を張り巡らせるようなものなのでは。

そして、
子どもの幼い脳は、大人の脳がその極一部だけの処理において
むしろ高度な処理を行っているようなものでも、脳全体を使って
行わなければならない…とすれば、

大人になってから、初めてのようにそのような単純化作業を
身につけようと思っても、また身につけたとしても、
脳の一部分でそれらを行ってしまい、脳の他の部分は使われず、
能トレの言っているような効果は、期待できないのかもしれない。

むしろ、そのようなトレーニングの強制は、脳の他の部分を萎縮
させてしまうのではなかろうか。…それは若年性痴呆が、複雑な
経済活動真っ盛りの中で同時に進行してしまうように。

行っている行為の質によって、脳の活動の実体を測ることなどは、
無理なのであろう。