「ひとそれぞれ」の用法

  • 2007/06/24(日) 17:59:23

ひとそれぞれだから

この言葉を私は
当然のこととして「議論を始める前提だ」と考えていた。
異なる相手にはそれぞれ別の応対が必要になるハズだから。

しかし、団塊を中心にその前後の世代の方々は、
話を打ち切る方便だ」と考えている節がある。

そのことに最近気づいた。

「平均顔」が美人とされる時勢とは…

  • 2007/06/23(土) 12:08:31

多様な価値観が並列された情勢の中では、「平均顔」というものが
最も安全性を高く担保する保険となる。

顔に限定せずとも、
個の生存に関わる特徴を象徴しているものとして見た場合。

平均から外れたものは、その特徴故の優秀さを持っている…としても、
それに投資すれば、そのジャンルにおける優越性が保証される
のであろう。が、一面的にそうであっても、その個性故の弱点も
同時に存在するわけであり、その潜在する特性によって、結果的・
多面的には、高いリスクを背負うことになる。

故に、「平均」が最も保証性の高い存在として、「美」となり
「優」となり、人気が高まる。




しかし、
圧倒的強者・多数派の誕生し認知された情勢の中では、
その一群のもつ形質・特賞が(その特徴が優秀さの根元で
あろうがなかろうが)、「美」の基準となる。
あらゆる動物の性淘汰による不合理な形質と同じく、
エスカレートしてゆく事になる。

大航海時代以降の「白人」という特徴であったり、
敗戦後日本における「外人(アメリカ)」もそう。
戦後世代にあっては、それが美の基準となり、洋画に憧れ、
英語を念仏のように崇拝してきた。活用の予定が無くとも
ただ習いたがるその態度は、信仰・崇拝と言って十分。
(萌えブームと蔑視との対立の根元にも通底するものを感じる)

ただ、強者・多数に所属していなくとも、運命共同体として
社会的・心理的に特定小集団と強固に組み込まれていた場合、
その小集団の特徴に「美」が見出されることにもなろうが。

個人的価値に普遍性はないはず。そもそも、

  • 2007/06/21(木) 17:03:58

個人的な評価は個人的であるが故に価値があるもの
であるのだから、本来普遍的なものに成り得るはずがない。

一般的な価値を得られたならば、それは個人的な価値ではなく
普遍的な価値を伴っているというわけで、評価されているのは
個人的価値の部分ではないはずだ。

個人的価値と普遍的価値は、相容れない二律背反な
関係であるはずだ。


それらをむりからに両立させてしまうと、
おかしなことになってしまう。


例えば…、
食品添加物の代名詞としての「お袋の味」だ。

そこでは具体的に「誰のお袋か?」という事が
問われないままに、数多存在したであろう各家庭の
それぞれの本当の「お袋の味」が駆逐されていった。

様々な個人的で普遍性が無いからこそ価値のある
個人的な価値観が、踏みにじられているのにも関わらず
それに気付かないのかマヒしているのか…。
そんな普遍的になり得ないものに冠された個人的形容詞が
普遍的価値として普及されることになることの危険性は、
そういう所にもある。


「個性」の有無が、「個性」とは何かが、公然と語られ、
ある特徴を「これぞ個性」として語られ模倣されてきた
この10年20年の中でつくづく思う。
「個性を大切にしよう」その言説が個性を駆逐したのだと。