何故ミクなのか…追記

  • 2007/11/19(月) 19:35:04

何故、2007年…初音ミクだったのか。
との問いに対しての追記。…前記事「人の声の範疇

一昔前のいわゆる「外国人はみんな同じに見える」ってヤツ。

慣れている領域では、その微細な違いが嫌なほど判るが、
その微細な違いを見分ける能力を既に持っているはずの
その者が、あまり見慣れない外国人を見比べても、
みな同じように見えてしまうというもの。

そのような「経験のズレ」とでも言うようなものが
音の世界にあってもあるのではないか…。と提示してみる。


慣れ(経験量)と判定確度


具体的に図で示してみて、上図のa,b,c…仮にロボっぽさとでも
言うべきものを客観値として測定できるとして…それが仮に
「ab≒bc」として測定できたものとしてみる。
しかし、経験によって判定確度のことなるそれらが、個人の
主観的基準としてa',b',c'とも測れるとする。

この場合の「ab<<a'b'」であり「ac<a'c'」として
a'は「かなりヒトっぽい」けれど、b'c'は「全然ロボっぽい」と、
その技術進歩とはズレた評価が行われる。

この図によって可能性を指摘してみた。



そして、図では「可聴領域」と大胆に書いてしまってあるけれど、
そこから外れた音が実際に聞こえないわけではない。

人には単純に高いだけ(低いだけ)ってだけで、ヒトぽいかどうかを
判定してしまう別の基準もヒトにはある…古代では異民族を
同じ人間であるにも関わらず禽獣扱いしえた段階もあったわけで…
必要以上に高い(低い)声を、それだけで人の声の範疇から外して
しまう判定を備えて(構築して)いるもの。
不要な処理はエネルギー効率の関係からも、脳は積極的に排除する。
それが「慣れ」ってものだろう。

これをあえて記したのは、ここ10年〜20年の間に、オタクと
呼ばれる層を中心に、その趣向範囲が拡大している可能性を
指摘し、このように描いてみた。

図の可聴領域Aから可聴領域Bへとその範囲をスライドさせている。

とすると、「何故、初音ミクなのか?」という流行の現象に対する
答えが見えるように思われる。


記憶の経験値・存在分布と判定確度


この図でのx軸は…何で置き換えてもよいのだけれど…未定
前の図と上図との関係は、この図のz軸方向にロボっぽさを引いた
形で見立てて欲しい。

表現内容と表現媒体

  • 2007/11/10(土) 23:39:42

一端は、あのように(注記)書いてはみたが…。


この技術(VOCALOID2)の延長線上には、
自分の声質を“素体(中の人)”としてサンプリングし、
“自分を調教する”という姿も見えなくはない。

携帯の「着ボイス」よろしく、リアル(三次元)なアイドルの声を
取り込んだり(商品化されたり)、知人・隣人の美声を借りたりなど
といった状況へ、今の初音ミクの如き特定のボーカロイドだけが
利用される状態から次へ飛躍するのも それほど長い時間は
必要ないように思う。


あそこで懸念されたような状況は、あっという間に
過ぎ去ってしまうかもしれない。



そこでは、
「活字」も「直筆」と同じ“自分の人格が籠められた文章”として
評価されている今の文学市場と何が違おう?

歌謡という肉体鍛錬の必要性と、個人がそれを放棄することの懸念
って面から指摘すれば、直筆…習字・書道といった自己鍛錬の必要性が
どれだけ薄まっているか…薄まっている現状がどう認識されているかを
考えてみれば、個人の人間の人格否定・尊厳の低下って懸念は、
果たして適当だろうか?


活字にどの字体(ゴシック、明朝、隷書体…etc)を選ぼうか…だとか、
自作フォントに「ヘタ字」だとか、誰それの直筆フォントが
作られ流通している現状とそれとを対比してみても良いかも
知れない。

「歌手」の役割が、今の「書道家」のようになっても、その需要は
無くなりはしないでしょう。むしろその「個性」の重要性が…
歌詞や曲ではない声の質そのもの個性、特異性、固有性をこそ
評価する視点がハッキリすることになるでしょう。



私はすでに「歌が上手い」ということが流行曲の需要に大きなファクター
ではないと確信していた。歌が下手でも、流行するものには、例えば
声の艶っぽさや歌詞以外の吐息部分だとか…その俳優が台詞を感情的に
発し、聞いていて心地よい“何か”と共通する価値を見出していた。
それをあえて「下手だから好い」と言っていた時もあった、が、やはり
ただ下手なだけでは聞くに耐えない。
少なくとも、いわゆる音大出の芸術的なプロの声楽家が大衆にウケない
理由の一端を示していると思う。
“それ”を、呼称する言葉は見つかっていないが。

それは幼少時に刷り込まれた…鳥が親鳥の声を記憶するような…本能的な
領域で、感情を喚起しているのかもしれない。それは、科学的・数学的に
永久的に黄金律のように絶対音感に則すといった形で測定しえるものでは
ない。絶対的な基準にてらして、良否・上手下手を測り得ないもの。

しかりとてそれは後天的に決められるものであって、胎教や産後の
保育器の中で恣意的に「設定」も可能なものでもあるのだが。さておき。


ともかく「表現媒体の価値が顕在化する」ってだけのことだろう。

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感情と理性・高音を趣向する脳

  • 2007/11/08(木) 22:55:53

高音域は感情に作用し、
低音域は理性に強く作用する。

知識偏重・理屈偏重であるオタク連中は、
そのように作られた脳によって、感情の喚起が成され難い
と考えられないだろうか?


故に、その鈍い感情を喚起するために、より高音域の音声を求める。
高音域の音声でなければ感情が喚起されない。

だから、いわゆる「声優声」「アニメ声」に特別な感情を抱くのだ。
…と考えられないだろうか。





そもそもそのような発話があえて成されたのは、
幼稚で理性の対話の不可能な幼児を対象とした作品においてであり、
それら作品の制作者らは、その論理ではなく感情を喚起させることによって、
その注意を促し、行動を抑制してきた言語未満のコミュニケーションの中から
児童向け作品へと作品を発展させていっている…と思われる。私には。
こんな大層な言い方をしなくとも、「赤ちゃんしゃべり」で十分か。



政治家に女性が不利だと言われることの一つに、その声質が
上げられることもある。
高い感情的な声は、浅はかで薄っぺらく感じられるから…と言う。
低い重厚な声は、論理的で説得力がある…かの如くに受け止め
られるという。

脳が論理に偏重していない一般的な人間にとっては、
そういった傾向が認められるのかも知れない。
僅かな時間で人の心を掴み、票に繋げなければならない技術に
特化した人種である政治家の言葉としては重く受け止めるべき
なのであろる。例えば、田中真紀子などは父譲りのダミ声
でもある低い声で女性ながらに強い支持を得てきた。





オタクに話を移して、
こおろぎさとみ・かないみか辺りから、尋常でない高音喋りに特化した
声質に執着を示す者が出てきた。その傾向は金田朋子…その他へと
確実にその需要と供給を伸ばしている。

より高く、より高く!

なのだろう。そして、その音に慣れ、その音の中もが論理的世界に
浸食され、論理的世界として構築されてしまえば、理性でない
感情を喚起するには、脳の感情領域の欲求を満足させるには、
さらにより高い音声を欲することになるのだろう。


そこで、昨今話題の「初音ミク」なるボーカロイドに話を繋げたい。

あれは、やはり
「その歌声が“まるで人間のようだ”から人気…なのではない!

生身の人間では需要を満たせない領域で、人間を超越した存在として、
支持を得ているのではなかろうか。…と考えてしまう。




…さらに飛躍して、

弥生時代、古墳時代…、銅鐸が、青銅による鐘の音色が、金属音が、
大衆の心を掴んでいた宗教体系に想いを馳せる。

それが権力の象徴として、根幹として、全国的に需要(配備?)されて
いたのは何故か?
ヒミコだとかアマテラスだとか、どこに基準を求めるべきか判断できぬが、
その巫女や女神信仰と、それとが、観念の上で密接に結びついていたの
ではなかろうか。

…などと夢想してみる。