巨大なロシアンルーレットの上で

  • 2007/01/29(月) 18:58:21

この国の司法は“ロシアンルーレット”のようなものだ。

犯罪者になる者は、される者は、「運が悪かった」で
片づけられるだけだから。

どんなに身綺麗に生きていても、「たまたま」「偶然」で
容疑者に成りうる。

その場合、「捜査に協力する」だとか、
「一時の治安維持のために仮の犠牲になる」だとか、
「何れ真実が明らかになれば、その犠牲も報われる」だとか
いうような事は 無い。

警察は犯罪者は「見つける」のではない。
「仕立て上げる」のだから。

裁判を通過するだけの都合の良い説明が付くならば、
強いて言えば誰でも良い。真犯人であろうがなかろうが。


運良く容疑者から外されても、ボロボロにされて捨てられるだけだ。
泣き寝入りで済まさなければ、報復として何らかの形で犯罪者に
仕立て上げられてしまうかもしれない。
(よほどの法律知識が有るか、有能な弁護士を雇う金持ちは別にして)





そんな社会では、身を助けるのは「正義」ではない。

身を助けるのは、「事実を越えた愛」である。

それは、「信頼」や「友情」だと言い換えても良い。
悪く言えば、「運命共同体」であっても同じ。

無実を信じ、協力を惜しまない友人が何人居るか。
それのみが運命を左右する。



本人の言うことよりも、警察の言うことを信じるような
関係しか周囲と築けていない者は、警察の都合の良いように、
いくらでも罪を被せられてられてしまう。

何時容疑をかけられても必ずアリバイを立証してくれるような
緊密で親密な友人関係を作り上げているだけでは十分ではない。

どんな人間でも犯罪者に仕立てしまうことができるのが、
この国の司法制度の現実だから。

それは
「誰でもいくらかは臑に傷を持つものだ」とか
「叩けば埃が出る」というようなレベルの話ではない。



自分の趣味や仕事に熱中して接待等に代表されるような、
人間関係を比較的忌避しているような連中は、
犯罪者予備軍」だとも言えるかも知れない。

いずれ犯罪を犯すだろう…という意味ではないので、
容疑者予備軍」と呼ぶべきだろうか。

アリバイの無い人間のストックは、検挙率アップの為の
都合の良い人間群であり、彼らを社会的に抹殺しても、
ほとんど誰も悲しむ奴は居ない。
苦情が立ち上がることも無い。


いやむしろ、よく分からなくて不安な要因が消えてくれて、
近所は拍手喝采だろうし、「やっぱり」の一語で尽きてしまう。
都合良く作り上げられた極悪人としての人間像を否定する情報が
民衆に提示されることはまず無く、極悪人に制裁を与えたとして、
賞賛されることはあっても、糾弾されることなんかまず無い。

警察の主張に矛盾や手落ちがある事に気がついても、いちいち
それを指摘するような酔狂な人間など居るはずもない。
そんな正義感に何のメリットも無い…のみならず、そのような
行為に出る者は、治安に対する不穏分子としてブラックリストに
載るのがオチだ。“百害有って一利無し”。

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