「鏡よ鏡」と問う相手とは…

  • 2006/12/22(金) 21:25:56

美人とは平均顔である
であるならば、鏡で自分の顔ばかりを見ていれば、
その者の感性では、自分がもっとも美しくなるのは
その意味では必定だ。

白雪姫の継母は実母として描かれている場合もあるそうで、
その場合に、旦那と鏡(自分の顔)のみを見ているような
生活をしていれば、両者の特長を備えている実の娘が
もっとも美しい顔となるのもこれまた必定なわけだ。



鏡の無い時代、美しさ(趣向)を作り上げる感性の成熟に…
美人顔を形成する分母の中に自分の顔が含まれては
無かったろう。血統的な連続性を自ら自覚することなく、
自らに似ているかどうかではなく、生まれてから見てきた
顔の総和に似たものに惹かれていただろう。それをこそ
自分の顔として認識していたと言えるかもしれない。

「白雪姫」のような物語は、鏡に対する免疫が文化的に無い時代から、
クリアに像を結ぶガラス鏡が発明され普及する時代への移行期、
その感性の混乱から、この物語は生まれたのではなかろうか。



…とも考えてみたい(いや、物語の中核はもっと起源が古かろうが、
鏡のエピソードが主格として組み直されたろう…という意味で)。

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