情報の対価は、みな負担すべきか

  • 2010/09/18(土) 12:00:23


「情報がタダなんて考えるアホが増えて困る」


そんな言説が、
さも当たり前のように公言されるようになった。


では、

例えば、災害情報は?

「人の命を左右するくらい有益な情報だから、
 それ相応の対価を取るのが正当だ。」


…とでも、そのうちに言われるようになるのかもしれない。


それを払える者だけが、生き残ればいい。

それを怠るような奴は、ケチるような奴は、
どうせ無益な存在なのだから、死んでくれて結構。


そんな話に発展するのも、そう遠くないことなのかも知れない。




図書館にまで、受益者負担の原則を投げかけられて久しい。

もちろん、娯楽小説を図書館で購入する意味を疑うし、
それ目的で利用するのも問題がある気もする。
過去の流行を事後に検証する価値のあるものを、
営業に影響しない程度に遅れて購入するとか。

発行部数を伸ばすために、こんな所にまで出版が営業(圧力)をかけたのか、
質の悪い利用者たるクレーマーに館が屈したのか…は、私には判らない。



商業目的である映画などの情報に、対価を払うのは当然であろう。

しかし、TVなどのマスメディアは、対価を自ら負担して(?)それ、
およびそれに類似した娯楽(ドラマ、アニメetc)情報を、無料で
放映している。なにか矛盾を感じる。



では、対価を取るべき情報って何だろう?

その情報を得て利益があるようなもの?
であるなら、株価に影響を与えそうな事前情報でしょうか?
それって、なんだかグレーな気がする。


身体的不利益を取り除く医学情報?
アカデミズムの情報は、経路は馴染み無くとも、情報自体は
開かれている。閉ざされているものは、宗教がかった民間療法
の類のような気もする。


学校教育は、将来役に立つ情報を提供しているのだから、
対価は欠かせない? むしろ、学校教育は個人にとっては
無益だからこそ、無償で構わないのかも知れない
(個人的な無益と社会にとっての有益は価値相反しない)。

故に、個人的利得(優位性の確保)を目的とした学習塾は
有償で構わなく、私的な理念の拡散を目的とする私学は
助成する必要は無い。有償・高額で良いのかも知れない。



私には、
対価を取るべき情報なんてものは、時限性という共通点
しか見あたらない。いずれ風化する情報を、先んじて得る
その為の対価…。


インターネットの違法アップロード問題と、既存の商業圏
との問題も、解決の糸口は、そこにこそあるのではないか
と私には思える。

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