凡人を誇る≒稔るほど…≒金持ち喧嘩せず

  • 2010/03/01(月) 22:24:39

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)
押井 守
幻冬舎
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読み始めて、その頭からガッカリだ。

彼の言う「若者」とは、彼の立場から見て、
せいぜい三十歳くらいまでしか視野に入っていないようだ。

今の10代、20代を想定して言っているとは思えない。

ただ、純粋に育ったゆとり世代は、そのデマを、素直にそうなんだなと
思い込んでしまっているだろう。彼の言う“デマゴーグなきデマゴギー”
彼自身が垂れ流しているのだ。


彼らのように今の若者が「若さを価値だ」と思っているのならば、
草食系や公務員指向をこれほどの規模で示しているような事はあるまい。

彼らは、彼の言うような意味で「若さを価値だ」なんて信じていやしない。
ただ「若さは価値だ」という価値観の前に服従させられているのだ。
もしくは面従腹背しているに過ぎない。

「はいはいそうですね、若さには価値があります」
と。

そして、彼が認める趣味人が自分の趣味を家族や世間から隠すように、
今時の若者は、自分の趣味やアイデンティティを守るために、
「流行ファッション」という鎧に身を隠しているにすぎない。
そうしなければ、馬鹿にされる。蔑まれると言う意味において、
両者にどの程度の違いがあるというのだ。
胸を張って堂々と「痛車」に乗れるほどの自尊心を兼ね備えているのは、
二十代の成功者くらいのものだ
、彼に比してオッサンも今時の若者も、
同レベルだ。

その信仰への否定があえて必要になっているのは、もはや壮年期以降の
存在だけだろう。



5章まで読み終えて、上記の懸念は幾らかフォローされてはいた。
少し安心した。
しかし、当然と言えば当然だけれども、論理の
組み立てや前提が、立脚点が、彼の世代で偏っているな…との
考えは変わらない。


1〜4章と彼なりの世界観を示し、その世界観を基盤にして、
今時の若者を理解するための指標としている。
その「大人の側に通用する指標」によって、今時の若者を、
理解しようとしている。

もし、若者にアンカーを掛けて自分の世界観を教示しようとするならば、
5〜6章を頭に持ってきておいて、その共感を基盤にして、その世界観を
世界の真理であるかのように描く事もできたはずだ。
そのような描き方は
彼の目的には反しているのだろうけれども。そして、また別に、この順番で
書く事によって、まず自分が許容され、許容された自分が、その自分を
守るために、老人の側を説き伏せる武器として、1〜4章の内容を
対比させて描く事もできたであろう。


そうしなかった事によって、やはりこの書は、アラフォー以上の世代に向けた
作品なのだろうと思う。
彼らの目にはとても好意的に見えない若者世代の
現象を、彼らに理解できる理屈でもって好意的に読み替える事ができるように
促すような作品になっている。


それらの中間世代である私にしてみれば、7章に結論のように描かれている
こと…嫉妬…は、すべての出発点である当たり前の常識
であって、それを元に
1〜4章で示していたような構造の理解を組み立てたし、同時にその後の若者に
現れている現象を理解した。

学生運動ブームの時の大学生と高校生の生活環境の物理的な違いが、それを見る
視線を決定的に変えたのではないかというような着眼点は、なるほど新鮮だった。
「(隔絶された引きこもり)アパート ← デモ → 自宅(親も世間もある現実)」


ただ、911後のアメリカを見てもなお「日本人は行き過ぎてしまう傾向がある」
だとか未だに言っている感覚には、いささか辟易する。


映画の宣伝で締められているあとがきに、若者に向けたメッセージだと書かれていた。
若者? 盛年の間違いじゃないの?
 その「若者」に10代は含まれていないでしょ?
バブルの頃から若者と言えば、学生の同義語になっているように思うのですが…。


あと、無批判な動物崇拝にも、何度もウザッと思った。野生動物にだって
親殺し子殺しをするし、小児性愛を示す事もあたり前にある。ロリ需要だって、
彼の言う文明化以外にも需要拡大の要因がいくつか考えられるでしょうに。

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