子どもの自殺に対する大人の言説

  • 2006/11/15(水) 12:07:05

昨今もてはやされている子どもの自殺に対して、
「逃げろ」「逃げろ」と言うが、逃げてどうなるのか?!

子供が死ななけりゃよい」という短絡な処方箋が見え隠れする。

しかし、それではただ
「自殺の次期を大人になるまで引き延ばすだけ」であろう。

大人なら死んでいいのか? 「大人になってから死ね」か?

大人になってから自殺するためだけに、子ども時代だけは
ともかくただ耐え続けろ! …か? それがメッセージなのか?
そんなもので自殺を回避する意義を子どもに与えられるのか?

それでは問題はなんら“回避”などされていない。




むしろそれでは悪化する事が見えてきている。
秋田で相次いだ児童殺傷事件を見ても判ろう。

虐められ、その時点でなんらケアされず放置された者が、
どれほどのトラウマを引きずっているのか…。

その病理が社会へと、より大きくなって帰ってくるのだ。





学校から離れても、ただ引きこもっているだけでは、
社交性などは育めない。コミュニケーションスキルは磨かれない。

もちろん「虐めの温床である学校に留まるべきだ」と言うつもりはない。
しかし、この日本という国に、現在、学校以外に子どもの所属するべき
“社会”がほとんど無い。

いわゆる社会人になっても、職場という学校に類似する狭い“社会”が
あるだけで、そこを離れて生きて行ける場所は無く、それらを横断して
社交性が磨かれるコミュニティーなどどこにも無い。大人になっても。


そのような社会にあって、温室からの いきなりの社会進出は、
その激烈なギャップによって、より自殺が近くなるだろうと
言えそうだ。

そして、その「虐め構造」が「肯定」された「社会」は、
歪さを増し、黒を白に変える隠蔽構造は巧妙になってゆく。
そして、その理不尽な社会構造は、学校という子どもの生活圏
にまで、じわじわと浸透してゆく。イジメは社会の鏡である。



「イジメは社会の鏡である」

その前提に立てば、対策をとるべき場は、
学校現場ではなく、社会の側であろう。

肩書きで賃金を1/4にするようなあからさまな搾取とか、
理不尽な隷属を求める差別構造だとか、権力者が黒を白に
することを求めるような不可能な強要だとか。…をこそ。

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