キャラ論

  • 2009/01/22(木) 18:03:02

心に秘めた世間へのメッセージと
その伝え方はどうするべきか。

戦略的に考えたら、
とにかく無骨に叫び続ければよい
と言う訳にはゆかない。


イジメられキャラは、何言ってもイジメられるのだから、
言葉としてメッセージを、例えば「イジメ反対」と言ってしまう
ことは、その目的としてはマイナスである。
イジメ根絶などは、むしろ遠ざかる。

イジメられるよなヤツの言っていることだから と、
その主張はむしろ、世間的に逆に受け止められる。
もっとイジメよう…と、そんなヤツの事に乗って
しまうと思われたら格好悪くて立場無くなる…と。



だから、
イジメられキャラで「反イジメ」を目的とするならば、
むしろ「イジメ容認」の発言をすべきだ。

「ああそうか!」と、個人としてのイジメは
むしろエスカレートするかもしれない

が、けれども、
第三者の良心の呵責に訴える酷さを伴って、

また、
あんな見下げたヤツの言うことと同じ行動なんか
とれない! というカッコ悪さも伴って、

イジメ文化はむしろ早く収束に向かってゆくことになる
のではなかろうか。


このとき、イジメストップを成したのは、別の
偉そうなヤツのお題目のお陰だとして、手柄が
認定されることになるであろう。が、私はそんな
実体に相関性を構築し得ていない者を評価しない。
後乗りの日和見連中も。

私は、イジメを演じた被害者を讃えたい。


ここで「演じる」と言っているのは、例えば
イジメられてヘラヘラ笑っているようなヤツや、
自虐的に自分を扱き下ろして、相手に言われる前に
先に自分から言ってしまおう…というような、
弱さの裏返しの保険をかけた行為でもない。


泣きそうになりながらも、辛いことが隠しきれて
いない状態でも、そこから逃げない者のことだ。
例えば、南海キャンディーズの山ちゃんや、
ザブングル加藤の演じてみせた役回りのように。

この場合として適切な例示にはなっていないか…。
彼らは逆主張をすることは無かった。いや…加藤は
どうだったかな。

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