海を見て自分の小ささを感じることで…

  • 2008/05/31(土) 12:06:55

海を見て自分の悩みの小ささを感じる


…そんな救いの定型が、未だにステロタイプを維持
していることに、理解に苦しむ。

自分の小ささを思い知り、
自分の存在を必要のないものだと、
居ない方が良いのだ
と考え、
悩んでいる現代人の背中を、
押し続けるであろうのに…。

小さな存在なのだから、
このまま消えても誰も困りはしないのだ
…と。


この前提でものを考えると、なぜそんな定型が
これほど流布しているのかに違和感を感じてしまう。

そもそもなぜ定型化したのか?
そもそもの受容はどのような理屈であったのか?


それはつまり、全共闘〜新人類世代が
どれほど自分を大きな存在であるのかを
純朴に信じてこれた
かがうかがえる。
どれほど自分に自惚れていられたのかが
判るというものだ。

自分勝手な満心という自惚れによって、
叶えられない自己実現に対してまでも、
不合理だ不条理だ…と単純に怒ることができる
のだろう。

そのようにうっぷんを溜め込んでいるところ
だったからこそ、「客観的な自分の小ささ」という
現実が、そのようなプレッシャーを無効化してくれる
着眼点として、有効に機能してきたのだろう。

であるが故に、そのような定型が
「救い」と成り得ていたのだろう。


しかし、そのような前提あってこその救いである
という視点を見失えば、どんなに相手のためと思い
考えた救いの言葉であっても、相手を救うことはできない。

相手を救おうとするまさにその行為によって、
相手を追いつめてしまう。
なんとも皮肉なことにも。


逆にその広い海を見て自己の内的世界を、
その広大な海ほどに広げることによって、
自分が尊重している友達、クラス、地域のような
小集団をこそ、ちっぽけなものと見なす…
ある意味自己肥大化こそが、現代の悩める若者を
救うことのできる方便なのではなかろうか。

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