消えた青鬼

  • 2008/06/02(月) 23:57:45

泣いた赤おに (小学館文庫―新撰クラシックス)
浜田 広介
小学館
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この青鬼の行動は、
自殺願望のある若者が戦争を望んだり、
正義の為の特攻を夢見たりすることと、
どこか似ている…。

自らの所属する社会との接点を完全に切り離し、
戻れなくした上で去って行くのだから。
再会の可能性をも完全に葬り去ってからの
逃亡であり、また別の言い方をすると、
捨てた女にも別れた後までもずっと「良い人」と
記憶され続けることを望む傲慢ささえも
見え隠れする。

別れた後の赤鬼の「泣いた理由」は何なのか。
単純にその自己犠牲的な意味と決断を恩義に感じ、
感謝しているのだろうか…?

私はそうは思えない。


仮に、
赤鬼の「ニンゲンと仲良くしたい」という気持ちを、
「たまにはニンゲンとも遊びたい」という軽薄な浮気心、
単なる好奇心だけだった…と考えたらどうだろうか?
また、
「ニンゲン」という普遍的価値を持ちがちな表現を
あえて改めて、ニンゲンと鬼とを入れ替えて読んでみたら
どうだろうか?

同じ解釈を維持できるでしょうか?


浮気心から鬼(不良少年)との付き合いを望んだ彼女(アカ)の、
その望みを叶えるようすべてお膳立てを済ませて、アオは
アカを集団の中に捨てていった…そうも見立てられる。

一人置き去りにされた…。そう見立てたら。

この赤鬼の孤独と不安がどれほどか…いくらか具体的に
実感できるのではないでしょうか。

今、意地悪く不良少年グループと表現したのだが、
それが仮に一般的な善良な人であっても、例えば
昔ながらの嫁入りを考えてみても良い。
伝統も文化も習慣も違う家へ一人で入り、一生家族と
再び会うことの無いのだと思い知ったところでの
哀しみ。

青鬼は赤鬼をそのような状況へと、
赤鬼に何の覚悟も自覚もないままに
ある意味、ハメたも同然なのですよ。

私はこの物語を、
どうしてもハッピーエンドだとは見なせない。

青鬼の書き置きを読むラストシーンを、
その涙を、付随的で郷愁のようなものだとして
受け止めることはできない。




青鬼の覚悟を、献身的な行為であると賞賛する
ような読み方が往々となされている。

そのように素直に読めてしまうのは、読者が、
自分が、無条件でニンゲンの側に、みんなの側に、
所属しているという疑いのない自信、不変の常識を
揺るぎなく持っているからなのではなかろうか。
…私はそう思えてしまう。


みんなの(≒自分の)世界は絶対で、常に正しいという
確信にも似た信頼感に包まれている。

それならそれでそのように受け止めることは
社会のありようとして正しいのかも知れない。
間違っているのだとは、あえて言うまい。
ただ、このような物語をどのように読むのか
ということで、この物語が語り継がれることは
悪くない。いや、良いことだ。

そこに一つのメルクマールが組み込まれている
のだから。為政者は、アーティスト、表現者は、
これを見極めて上手く利用すればよい。

その際は、なるべく正しく導いていって欲しい。

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