ひぐらしというサンプル

  • 2008/05/28(水) 23:48:17

「ひぐらしのなく頃に」

選択肢の無いアドベンチャーゲームの持つ分岐性


その要約を聞く限りにおいて、この時代感を説明するのに
都合良いサンプルであることに異論はないのだけれども、

その作品が優れていたと理解するよりは、

おたく第二世代第三世代にとっては、数少ないギャルゲーを
遊び尽くす、やり尽くすということが、欲求不満の解消と
なっていただろうところが、

第三世代〜第四世代にとっては、すでに数多ある玉石混淆の
同人ゲーの中から、どのゲームを選ぶかというところで、
すでに自己決定を済ませているので、ゲームの中の選択肢に
自己の能動性を求める理由が一つ減ってしまっている

ひぐらし…その、選択肢の無いゲーム性の無さは、
意図的と言うよりは、未完成のまま流通したと
解釈する方が自然であるように私には思える。


アドベンチャーゲームにおける現実感を無限の選択性に求めていた
であろうオタク第二世代〜第三世代にとって、それを具現しようと
したのが、ギャルゲーを代表にしなくとも良いが、いわるゆる
マルチエンディングのゲーム群であって、そのゲーム性は、
実現性が究極的に不可能である上に、ゲームの作家性・上質性を
求めなければ、いわゆるインターネット上の「チャット」が、
すでにシナリオのないアドベンチャーゲームの代わりだと言える。
アドベンチャーゲームを「徹底攻略」するインセンティブが、
その時点で失われ始めていた。

シナリオの無さ・終わりの無さと、上質性を兼ね合わせたゲームと
範囲を広げれば、それはオンラインRPGのような形で、
まだまだその需要は減少していない。

「ひぐらし」の存在は、そのような時代の狭間を受け渡す存在として
見立てるべきであろうように考える。作者がそこまで意図していた
とすれば、なかなかの推眼だが、そうでなくとも不思議ではない。


それとは別に、二次創作界にとって都合が良かった。と理解すべき
側面もある。

ゲームの自由度…複雑な選択肢は、二次創作を手段でなく目的と
している連中にとっては、創作の阻害要因でしかない。

より単純で、感情フックの多い…または良い…作品の方が、
二番煎じ、三番煎じの流行を追いやすい。

流行という現象を追って観察する場合、そのように本当に良質で
良い物とよべるようなものは…作品に対する純粋な思い入れや、
陶酔などを動機とした二次創作では、そもそも同人ゲームとしての
オリジナルにしてみても…その創作時間そのものが、タイムラグ
として生じざるを得ない。現象の顕在化の阻害要因となってしまう。

すでに、この同人業界もすっかり経済原理に整地された感があるので、
そのような早い者勝ちな現象は当分訪れないだろうから、
すでにこのような評論において認知された物語性というか作品の
テーマ性というか構造性とでもいうべきものを、深く掘り下げた
完成度の高く、ディテールの細かいものでなければ受け容れ難い
時代になっているであろうから、あの作品は、後の今の時代にあって
ある意味原典・聖典となってゆくであろうことを、疑うことはない。

そのように歴史性・偶然の中の必然性として、評価されるべき
ものだと思う。

あらゆる宗教の神話なども、雪の結晶の核のように、そのような
ものであったろう。これは見下して腐して言っているのではない。

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