現在での異常者が十数年後の多数派であるこの世にて

  • 2008/04/25(金) 20:46:43

子どもの脳と仮想世界―教室から見えるデジタルっ子の今
戸塚 滝登
岩波書店
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この筆者はバーチャルとリアルを決定的に違うものとして扱える
ように言っている。しかし、自らリストカットしても、当に
死にかけても、リアルを感じられない苦しみの中にある子どもも
居ることを、どのように考えているのだろう。

リアルとバーチャルの違いなんて見出せるのだろうか?!

これは、リアルには、視聴覚以外をも必要としない領域もある。
…ということではないのか?

いやむしろ逆に、リアルを感じるのに視聴覚以外を必要として
しまう者ほど、この「社会」では苦しまなければならない。
ということはないのだろうか?
私にはむしろ、こちらであるように思える。

第二章で扱っている4つの事例は、本当に「五感の窓」のモデルで    …備考1
説明が付くものなのだろうか…?



本の装丁と表題から、一見この本はいわゆる「ゲーム脳」という
都市伝説的な迷信の系譜にあるように思えるが、この著者は、
それとは一線を画している。主張の多くは同感だし、彼の行ってきた
教育方針、教材、教育指導には羨ましさを覚えるくらいだ。




ただ、僅かな違和感を覚える。

ネット時代・デジタル時代の危機を強調するために、それとの対比で
持ち出してきているアーミッシュの共同体。あれだって一種の
ヒキコモリだろう。
「海の上のピアニスト」の1900は、船から下りられなくとも、
八十八鍵で無限の世界を描けると言う。人を感動させ得る超越者だ。
知恵遅れのように幼少期を過ごしたアインシュタイン等との対比は、
具体的に何に見いだしているのだ?
アーミッシュ、アインシュタイン、1900、団地を出ない男の子…


両者を隔てているものが有るとすれば、次世代への血統の連鎖の有無
くらいなものであろう。

あの物語で1900がピアノでなく数学や物理学の天才として描かれて
いたとしたら、筆者はその扱いを転換させるのだろうか。
団地から出られない男の子が、仮にお隣の女の子に恋をしていたとする、
強盗が団地に進入したときに、彼はその女の子を身を挺して救おうと
するかも知れない。銃乱射事件で模範例のように引用された教師や
生徒のように。

自らへの過剰な自惚れや傲慢さが無いからこそ、無限の世界を欲しようと
しない者なのだ。自らの存在価値に疑いを持っているからこそ、
他人を救うことに自らの価値を見出そうとするのではないだろうか。
そのように考えると、両者の違いを決定的なものだと、私には見なせない。


アインシュタインは欧州を捨ててアメリカに出てきた。だから
その意味で1900とは、やはり異なる。
アインシュタインが仮に物理学で成功していなかったら、
世界的評価に晒されていなかったら、渡米を決断するような
延命行為…自己保存に価値を見いださなかったかも知れない…
このような例えは、団地を出れない幼き少年と対比するには
有効な例えかもしれないけれども、1900と対比することは
できない。彼は行き交う誰もから高く評価され、船外での成功をも
保証されていた。にも関わらず、僅か一歩をも踏み出せなかった。

しかし、それも全てを自己決定に委ねるからこそ、そうなのだ。
1900も、誰かが「拉致」して連れ出せば、すぐに適応し、
その後の成功が有ったかも知れない。脳にはそれくらいの可塑性が
十分有ることを示すために「再マッピング」の事例を持ち出している
のではないの?

そして、これは人間だけの事ではない。例えばニワトリだって、
産まれて一年柵の中で過ごせば、その後柵を取り外しても、その外へ
一歩たりとも出ようとしないという。人の目には何が違うか
まるで見分けのつかない同じ広い軒先で、まるでそこに
見えない壁がある彼の如く、狭い範囲に留まっている。しかし、
猫にでも襲われれば、忘我の内にそこから飛び出すこともあろう。


現代日本にあって問うべきなのは、
そんな楽園たる「船」から子どもを追い出す事でもなく、
そんな船に乗り込まないように児童教育を見直すことでもなく、
例え船の中であっても生きて行けるようにすること。つまり、
アメリカがアーミッシュの生き方を認めているように、
そのような生き方の一つとして、彼らをどのように経済行為の中へ
組み込むか…例えばSOHOのススメ…、もしくは、経済と隔絶した
ままであっても、自活行為を維持できる最低限をどうにかして教育しえる
別ルートの確保および、そのような自活集団への参加を促すこと。
そして、そのような新興宗教まがいの自活集団に対する社会的な
偏見・差別撤廃へ向かうこと…なのではないのか。
経済的損得勘定で郷土を捨てない生き方と言い換えても良い。




そして、現在の教室環境…
半世紀前とは比べものにならないほど多様化した価値観の中で、
喧嘩すら抑制され、八方美人に生きてゆかねばならないなんて、
子どもにとって、あまりに過酷すぎやしないか?
それこそ教科書など遠く及ばないほどの「誤った信念」課題
科しているに等しい。そんな状況に、子どもたちは置かれている。

「A1はXと思っているとA2は思っているとA3は思っていると…」
と、An(n=クラスメイト数)まで発展し、理解しなければならない。

いや、そこに今やコミュニケーションの基盤であるマスメディア…
芸能人からアニメキャラクターに対して友人それぞれの思い入れの
違いを、理解し、配慮しあっていなければいけない。

それを誤ると、相手を傷つけてしまう。

傷つけてしまえば謝ればいい。という教育は成されない。
どんな理由であれ、相手を傷つける行為はイジメであると
マスメディアは頻りに鼓舞している。
一度の過ちも許されないプレッシャーが かけられている。

当に、教室は地雷原。

ますます個人の内面を深く理解しなければ成らないが故に、
多くの人間とは、つき合えなくなる。友達集団が小さくなる。
そして、その小集団から離れることがあたかも全世界からの離別
にすら感じられ、孤独と恐怖に直結するようになってゆく。

彼女たちが、1900の踏み出せなかった無限の世界に立ち、
そこで生きているのだと言えたのだとしても、その心情は、
1900の居た船の上よりもずっとずっと本質的には「狭い」
のかも知れない。


アインシュタインも、友達と平凡に、そんな深い関わり合いが
できなかったからこそ、脳の一部が守られ、歴史的発見をし、
それ故に、深い関わり合いの必要の無い、世界的な人間関係が
築けたのだ…と言えるのかも知れない。

団地から出られない少年も、具体的関係に執着しないが故に、
むしろ博愛的に、誰とでも対等に、損得勘定をしない付き合いが、
可能なのかも知れない。
他人との僅かな僅かな差異によって、儚いアイデンティティに
縋るのではなく、違いよりむしろ世界的包括的な共通点を見出す
ことによって、広く世界の多数の中へ、同志を認めてゆける
のかもしれない。


こう考えて、筆者のトモエ学園とフィンランド教育への言及は、
結局どこと繋がっているのだろう? と疑問になる。




バーチャルへの脳の適応。それが、不可逆であることは、正しかろう。
しかし、後戻りできない…まったく元のようには戻れないだけであって、
脳は必要に応じて、また別の形で、それを取り戻そうとするはずだ。
それも不可能ではないと。それは幻肢・幻痛だって治療が可能であるように。

脳の可塑性をもって、それをポジティブに考えられないのであろうか?
地道ではあるが、不可能であることはない。
脳の「パパートの原理」は、そんなことで終わらないのでは?



何より、そのような現在での異常者も、十数年後の多数派です。
民主主義・多数派絶対主義の世の中にあっては、「治療」の対象
となるのは、あきらかに、現在の「我々」。今はまだ正常者と
胸を張って居られる側になっているでしょう。そのような価値観や
脳の働きを、価値として維持したいのであれば、普通の立場から
ではなく、もはや、特殊能力、異能の立場から論理展開しておかな
ければならないように思います。

その頃の日本にあっては、筆者の生徒の如き事例は、
今で言う「サヴァン」を見るかの如き珍妙な存在と
なっているかも知れません。





備考1>五感の窓
第二章で扱っている4つの事例は、本当に「五感の窓」のモデルで
説明が付くものなのだろうか…?

・デビッド(隔離室の少年)/ジニー(虐待少女,プラスチック製品への執着)
・デボラ(ベビーボックスの実験体)/イルデフォンゾ(聴覚障害)

五感のせいではなく、むしろ、
栄養状態の問題や、日光からの遮断…ビタミンD不足や、
セロトニン欠乏症のようなところにこそ、両者の違いを
見出すべきなのではないでしょうか?

また、発達障害から、性的成熟の前倒しによって、
思春期にありながら、性的欲求不満のようなものにも、
訳も判らず苦しんでいたのかもしれない。
また、性衝動と攻撃衝動は近い部分にある。

そして、近代教育の病理は、成長期の子どもを、似たように
コンクリートの中に閉じこめ、紫外線から隔絶していること。
さらに、エアコン完備の現代教育環境は、換気の重要性を見落とし、
浅い酸素欠乏症および二酸化炭素中毒をも引き起こしているのでは。

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関市 土木

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  • 2009/11/05(木) 13:50:39
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