たとえば保守同士であれ

  • 2006/08/21(月) 12:04:09

例えば、国体の解体を憂え、その維持復古を叫ぶ「保守」が、
その実現の手段として、国民監視と市民の疑心暗鬼を煽るために、
監視カメラの設置を大々的に進めようと考える。

その行為も理念も「保守」であろう。

それとは逆に、「監視カメラ」という新しい技術がもたらす影響と、
市民社会に与える予想外の影響を心配し、監視カメラの早急な設置に
「待った」をかける慎重な態度も、当然の如く「保守」だと言えよう。
「そんなものは必要ない」という主張である者をも含め。

しかし、
両者は「監視カメラ」の設置の是非について真っ向から対立する。

「保守であるか否か」というカテゴリーがいかに無意味であるかが
判っていただけるかと思う。


例えば「保守であるかどうか」。そんなレッテルだけで、
人の信頼を測ったり、その者の他の発言を総じて賛成したり、
反対してみたり、憎悪してみたり、狂信してみたりしても、
対立軸を明確にしたつもりになってみても、ただただ無意味で
愚かしい争乱にしかならない。

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