「喋らせてみた」が示すもの…喋るは高度な歌

  • 2007/11/23(金) 17:40:40

初音ミクを使って「喋らせてみた」という挑戦が行われている。
そこで示されているのは…現代人の感覚とは逆の結論…


「歌う」より「喋る」方が難しい!


…という現実。

日常の成長では、当然のように喋り、それにメロディに載せて
「喋る」の延長で…「歌う」。
それも鍛錬を伴って“マスター”するものである。…というのが
我々の常識であろう。


が、この初音ミクの「喋らせてみた」の見せる現実はその逆である。


思えば、サーガの時代、各種口伝の伝統を見ても、それらは
歌に近い。リズムを伴ったもので、ずっと間延びしたものあった。
子どもの言語習得にも、単語をリズム良く繰り返すことが
行われる。歌のように同音を繰り返すことで、言語を習得して行く。
絶対音感と相対音感のどちらが高度かは、前者が鳥類のスリコミのように
原始的な能力であることを指摘している。喋るオウムのロボっぽさ。
「歌うネアンデルタール人」なる人類前史の仮説もある。



これは、
我々が日常口にしている「喋る」という行為は、「高度な歌」
である可能性を示しているのではなかろうか。




思えば、「歩く」という行為も、その二足歩行ロボットの開発史を
みて、当初考えていたよりどれほど困難な道であったかを物語って
いるように…「喋る」という行為は、それを当たり前のように使っている
我々が考える以上に高度な行為なのではなかろうか…。

「走る」より「歩く」ことの方が難しい(すり足は「歩く」ではない)ように
「喋る」ことは、「歌う」ことよりも高度なプロセスが、複雑に組み合わ
されているのではなかろうか…と。



そしてそれは、
「行為」と「認知」の相互関係を抜きに扱うことは できない。

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