亀田ファンとOK農場(NO)

  • 2006/08/17(木) 17:16:57

ガッツと亀田陣営との対立軸は、共に“日本のため”に
という気持ちの反映であることがおもしろい…というか
皮肉だ。


一方は、
同じ“日本人”の栄光は(どんな形であれ)日本人として誇るべきだ。
…というもの。「自虐は駄目だ」とも言い換えられるような。
国の栄光を盛り立ててゆかなければ…足を引っ張りあっていては、
いつまでもダメな日本のままだ…と。


一方、
戦後復興の立役者達の側は、その原動力だったものを背負っている。
諸外国に対して「あんな卑怯で汚い奴らのようにはならない!」
…と言う自負。権力者に阿らないという自尊心…等々。

「正々堂々」「誰にも文句を言わせないような形で」勝つ。
「そして、勝ったのだ!!」…と。それが日本人魂であり、
民族の誇りである…といった感じで。



だから…今の日本の圧倒的な経済力に物を言わせたような
“あんな勝利”は…少なくともそうとも見えるような…
疑わしいレベルで満足しているようでは 甘い
それに執着することが、逆に日本の栄光を貶めるものだ!
…という内心が働いてもいるのだろう。
自分のチャンピオンベルトはそんな卑しい物ではない…と。


しかし、今時の軟弱な若者は、それを頭から不可能と、
想定の範囲を大きく逸脱した虚構だ…と切って捨てている。
「不公平だ!」とか「不平等だ」とか、「そんなの綺麗事だ」と。
いや、「(過去)やられたのなら、(今)やり返していい」「目には目を」
と。矛先を弱者に向ける卑怯な八つ当たりの構図には気づかずに。

それは憲法改正の議論の高まりにも同じく通じる。
憲法九条なんて損な物は捨てたいという軟弱な心…。

その不利益を背負っても、対抗できる優秀な民族である
という自負も気負いも微塵も無い

負け犬根性で脆弱な国民だから、卑怯でも如何様でも、
とにかく目先の栄誉、空虚な肩書きをまず先に欲しがる。

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