戦中生まれの占領教育世代って感じ。

  • 2007/11/27(火) 18:35:58


いかにも“戦中生まれの占領教育世代”の申し子って感じの方だ。

5章での断言は、非人種主義とでもいうべき価値観を
よくもここまで妄信できるな…と半ば呆れる。

そんなはず無かろう。異民族蔑視は過去にも有ったろう。
むしろそれをあえて記すまでもないほど“あたりまえ”だったから
記録として残っていないという事だろう。

また、血統に拘りのない事件の例示などは、それが異例だったからこそ
歴史的記述としてあえて残されていると理解すべきだ。
それを当時のあたりまえだと考えるのはなんとも滑稽だ。

信長が黒人を部下として徴用した事例などを凡例として上げているが、
その文面で「明智はこれは人間ではないと判断して」「追放した」と
書いてしまっている。信長が特別革新的だっただけで、明智の態度
こそが当時の日本人の「常識的」態度だったろう。その人間でないものを
連れ回る化け物の頭領として信長は怖れられ排除されたとも見立てられよう。


私は、人種差別は人間の本能のようなものだと思っている。そして
そのような態度を抑止するのが理性や合理主義なんだろう。



しかし、この著者はそんなこと微塵も考えていなかの如くだ。
人種差別をこれほど異常だと考えるそのマインドこそ、
戦後教育(占領下教育)の賜物だろう!
 と言いたくなる。

そして、その差別対象を、アメリカ特有だとことさら偏執するのが、
文化的エディプス・コンプレックスに見えてしょうがない。



どんな人種も外的驚異に対してしばし民族主義・人種主義になりうる。
それは生存本能とでもいうものだ。それを政治的に言えば自衛権って
ことになるのだろうが。

黄禍論ってものも、それほど当時の日本人を西欧が怖れていたって
ことだろう。それを人種差別という偏見だとのみ考えることの方が、
よっぽど、「東方の弱小国日本」という“自虐的な立場”から
物を見ているじゃないか…とも言いたくなる。どっちが。と。

筆者が不文律の如く正論としている非人種主義とでも言うものを、
そこまで刷り込んだのは、当のそのアメリカだろう。占領中の。
日本はそのほんの少し前まで鬼畜米英と叫んでいたではないか。

どんなに正論を吐いていても、人間は弱いものだ。驚異の前に
すぐ日和る。それは日本だって、欧米だって同じだろう。



追記>
ペリーとは、日本というパンドラの箱を開けたのだ。

そうも評価できよう。

開国から瞬く間に全世界展開した日本人に対し、その
キリスト教の宗教的建前を、国債ルールを、律儀に
真面目に実戦しながら、文句のつけようの無い形で
勢力を急速に拡大するそれを、怖れたに違いない。

黄禍論というものも、そのような背景で見る必要がある
のではなかろうか。

欧米社会は、その正攻法で抑止できない日本人に対して、
正論ではなく、極論で、非合理で卑怯な手段に打って出て
「しまった」のだろう。

日本はその卑怯な手段をも律儀にも実戦した。それが、
世界大戦中の「世界の常識」たる帝国主義のようなもの
だったのだろう。


「やはり正論を通すことが強い」と先に気づいた西欧諸国が、
その転向に遅れた日本を、生け贄の如きにその罪の一切を
おっ被せて幕引きした。それが終戦。

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