表現内容と表現媒体

  • 2007/11/10(土) 23:39:42

一端は、あのように(注記)書いてはみたが…。


この技術(VOCALOID2)の延長線上には、
自分の声質を“素体(中の人)”としてサンプリングし、
“自分を調教する”という姿も見えなくはない。

携帯の「着ボイス」よろしく、リアル(三次元)なアイドルの声を
取り込んだり(商品化されたり)、知人・隣人の美声を借りたりなど
といった状況へ、今の初音ミクの如き特定のボーカロイドだけが
利用される状態から次へ飛躍するのも それほど長い時間は
必要ないように思う。


あそこで懸念されたような状況は、あっという間に
過ぎ去ってしまうかもしれない。



そこでは、
「活字」も「直筆」と同じ“自分の人格が籠められた文章”として
評価されている今の文学市場と何が違おう?

歌謡という肉体鍛錬の必要性と、個人がそれを放棄することの懸念
って面から指摘すれば、直筆…習字・書道といった自己鍛錬の必要性が
どれだけ薄まっているか…薄まっている現状がどう認識されているかを
考えてみれば、個人の人間の人格否定・尊厳の低下って懸念は、
果たして適当だろうか?


活字にどの字体(ゴシック、明朝、隷書体…etc)を選ぼうか…だとか、
自作フォントに「ヘタ字」だとか、誰それの直筆フォントが
作られ流通している現状とそれとを対比してみても良いかも
知れない。

「歌手」の役割が、今の「書道家」のようになっても、その需要は
無くなりはしないでしょう。むしろその「個性」の重要性が…
歌詞や曲ではない声の質そのもの個性、特異性、固有性をこそ
評価する視点がハッキリすることになるでしょう。



私はすでに「歌が上手い」ということが流行曲の需要に大きなファクター
ではないと確信していた。歌が下手でも、流行するものには、例えば
声の艶っぽさや歌詞以外の吐息部分だとか…その俳優が台詞を感情的に
発し、聞いていて心地よい“何か”と共通する価値を見出していた。
それをあえて「下手だから好い」と言っていた時もあった、が、やはり
ただ下手なだけでは聞くに耐えない。
少なくとも、いわゆる音大出の芸術的なプロの声楽家が大衆にウケない
理由の一端を示していると思う。
“それ”を、呼称する言葉は見つかっていないが。

それは幼少時に刷り込まれた…鳥が親鳥の声を記憶するような…本能的な
領域で、感情を喚起しているのかもしれない。それは、科学的・数学的に
永久的に黄金律のように絶対音感に則すといった形で測定しえるものでは
ない。絶対的な基準にてらして、良否・上手下手を測り得ないもの。

しかりとてそれは後天的に決められるものであって、胎教や産後の
保育器の中で恣意的に「設定」も可能なものでもあるのだが。さておき。


ともかく「表現媒体の価値が顕在化する」ってだけのことだろう。



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人の声の範疇
関連記事>
感情と理性・高音を趣向する脳
敬意と評価と成長と



追記1>
プロの歌手って位置づけを、
印刷機発明以前の書記官の如き存在と対比してみてはどうだろうか?
活字の如き正確な清書を成せる技術というのは、
声楽をとことん叩き込まれたロボットの如きオペラ歌手のようなもの
…として見立てている。

追記2>
一部で始まっている「声帯認証」ってものを、アメリカでの契約の
信用性の担保としての「サイン」ってものと対比してみてもいい。
日本では「印鑑」というある意味人間の生命体としての個人性とは
なんら関係の無いものを、その信頼の根拠としていることが面白い。

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