権力者・指導者

  • 2007/07/06(金) 01:40:16

社会の底辺に競争を求めるような社会構造を構築しようとしている
その官僚主動改革に、見えるのは…。
前例主義で何も生み出せない自らの無能を認めている…ようなもの。


本来、責任者が権力者が、競争すべきものだろう。
だからこそ、自ら規を示す指導者というものだ。

上手くゆく方法を下々に出させ、良いものを採用してやる。
というのが、今の改革…といった感じだが、そのような存在は、
ただの絶対権力者であって、指導者失格である。



新しい挑戦や、競争など、そんなもの、若者の本能のようなものだ。
あえて率先して仕組み作りしなければ為されないようなものではない。

社会から挑戦や競争が消えているのは、単に、老人が指導者の地位を占め、
本来の指導者足る者に、挑戦者足る者に、権限を与えていないから…だけだ。
現に責任を背負うべき地位にある者が、その責任を負っていないだけだ。
そのような権力もしがみつき、無責任な連中が撤退すれば、活力など
自然に沸いてくるものだろう。


制度として、改革と称して、新しい挑戦や競争をもたらそう…と考える発想。
その発想そのものの中に、権力者がその地位に固執する思惑が見える。

自らに何のアイディアも発想も無いのだが、その地位は手放したくない。
挑戦はしてみたいが、失敗はしたくない。だから、失敗のない確実な挑戦を、
権力者たる地位に居る俺様が知る仕組みを求めている。…という事だろう。


彼らは、確実な未来予言図を知りたい。それさえ知れば、
最高の俺様の頭脳によって、最高に合理性な手法で、
完璧な実施計画を作り、実行できる…という自尊心に満ちているのだろう。

だがしかし、
それでは外国の真似をして「追いつけ追い越せ」しかできない。
受験教育で与えられた知識をただ吸収する能力ばかりを徹底的に
磨いてきた連中の限界だ。皮肉というか。

いかにも官僚的な前例主義って感じだ。



しかし、本来、官僚はそれでいい。

政治家が意志決定をして、官僚はそれに従う。
無茶であれなんであれ、その政治家の…現政権の意志決定を、
最高のパフォーマンスでサポートすればいい。それこそ本来の姿。

そうでなくなってしまったのは、無能な政治家ばかりが、権力に群がって
利権にしか執着がないからだろう。政策に興味が無いから官僚に丸投げする。
それは政治家の領分であれ。官僚はほぼゼロから法案作成にかかるようになる。
国民ウケが注文され、恥をかかない完璧さを求めるようにもなるだろう。

であったならば、官僚が主導する形にならざるを得ない。


一つの価値観で一方向に向かっている時はそれでも良いのかもしれないが。

今、問われているのは、多様な価値観を認める社会に向かうかどうかでもあろう。

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