原作と挿し絵と漫画家と…世紀末〜今世紀の狭間で

  • 2007/04/01(日) 12:16:14

原作者と漫画家の力関係はすでに逆転しているのだろう。

漫画編集者の編集する作家のヒットなどがそれを示している。


マンガ・アニメで育ち、その遺産の上にクリエイティブを
刺激された世代が、そのイマジネーションを表現するのに、
手間のかかるマンガ表現を選んでいては、死産してしまう
ような強い情動の後押しを、手早く表現し、また、読者(大衆)と
共有される為には…世間が無意識的な渇望を顕在化させる
「観音」を現出させるには、そのような「帝王切開」としての
「小説」という手段が欠かせなかったのだろう。

マンガ・アニメの素養があれば理解できる表現で、
その想像力で補える事を前提にすれば、
マンガに劣らぬ表現のできた作品が。


逆に、
若くしてマンガの上手い…特に「絵」の技巧に巧みな者は、
その熟練に費やした引きこもり的な時間によって人生経験が
未熟であり、「物語」が紡げない。パロディやギャグのごとき
作品が大勢を占めることになっていた。


絵は上手い…が、マンガの下手な作者に、原作を 付ける。

原作の脇役として挿し絵画家が配され、その延長にあった
マンガ業界の上下関係のごときものがここで逆転する。
絵の上手い実力漫画家の技能を活かすための原作者を
必要とする。そこでは原作の側がアテである。

…そのもっとも成功した事例が、ヒカルの碁や
デスノートの大ヒットをもたらした小畑建の事例では。

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