教えずに教える教育

  • 2010/09/08(水) 17:00:29

「くさらせる叱り方」にかわる20の方法
・子どもが分かっているとき/「穴埋め」させる
・子どもが分かっていないとき/情報を与える

 
こういう教育方針が今、見直される意義は判る。
故に、反応が高いのも理解できる。


ただ、私にはそれ故の懸念が一つある。
故に一言コメントを残しておいた。

昔は「本当に大切なことは直接言葉で教えない」と言った。誘導された自発を、そうと気付かせずに育てる。生徒は能動的に順応するから教育の効率はよい。
 
しかし、であるが故に、今の50〜70歳代なんかは、全てが自分の自己判断と努力の成果だ…と慢心していられる。自分で勝手に育ったと思って(確信して)いるので、後塵の指導を怠ることに躊躇いはない。→結果、技能伝承の断絶が起こる。
 
自分が(先達の細やかな指導の結果として)当たり前にできたことが、(手助けが全く無くて)言わなければできない若者に対して、自分に比べて(昔と違って)無能だ、劣化だ…と、平然と確信する。
 
…同じ過ちを繰り返さないといいね。


今世紀に入ってからの、一連の戦前回帰の言論と
通底している面がある…と、私は考えるのである。


ここで言う「同じ過ち」というのは、

もし繰り返すのだとしたら、およそ50年後。

そんな先のことに気にとめる人は、まず居ないだろう。



故に、このような教育方針は、ほどなく学校教育にも
取り入れられるだろう。正規・非正規にかかわらず。

そして、戦後、戦前を反省した人達が、洗脳教育だ
と結果的に批判した事態が、そこで進行する。
思想的誘導が無自覚な脳に刻まれる。

あの頃のような思想的統一が国を画一化する。

そして、それは戦前のみを指していない。
戦後の高度経済成長を成し遂げた基盤の一つに、
誰もが同じ一つの理想を追い求めた…坂の上の雲を
目指したという意味ではそれらは共通している。
ただ目指すべき目標が切り替わっただけで。

画一化は遂行されてゆく。だだ、それを主導・先導する側に、
共謀は必要ない。無意識に共有されている価値観に則し、
それに異なる者を矯正してゆくだけだから。

無意識、無自覚。これと対話することは難しい。

疑問を差し挟む余地があることを認めること自体が難しいから。


あるとすれば、大きなトラウマ的な事件だけ。



今の地点から見れば、例えば「教育勅語」のどこが危険だったのか、
もはや、全く理解できないだろう。

描いてあることは至極真っ当であり、それが広く教育されて
何の問題があるのか? …と。

その通り、その内容に問題はない…と、私も考える。



ただ、そのような「誰もが反論の余地の無いようなもの」を
錦の御旗にして、幼い素直な脳に、画一的な価値観を、
無自覚なままに刷り込んでゆく手法そのものの方が、危険だったのだろう。
価値観が同じであるが故に、同じ刺激に同じ反応をそろって返す。

故に、その構造に気付いた心ある者達によって、この
教育システムは、各々で封印されたのではなかろうか。


しかし、ここで敗戦のトラウマ的な過剰反応で、
羮に懲りて膾を吹くかのように、この教育方法のノウハウ
それ自体が伝承されなかった(別の要因でおきる伝承の断絶)。

これが進行したのが、1960〜1970年代の間であろうか。

教師の質(指導力)の低下、生徒の掌握が、悪化の一途を辿った。



今、そして今後、
この失われたノウハウが、再発見の形で、新発見の体裁で、
過去と対比されることなく、氾濫してゆくのでは…と危惧を感じる。

それと同時に、再び高度経済成長を迎える可能性(20年後?)にも
誘惑されてしまう…。