米軍基地移転問題問題

  • 2010/05/06(木) 12:37:27

首相が「国外・最低でも県外」の目標を掲げている間は、
マスコミはこぞって沖縄以外はあり得ない。それ以外の可能性を
模索するのは愚かだ。無駄だ。徒労だ。絶対あり得ない…
との
キャンペーンの如き大合唱を続け、政権への圧力と国民の疑心と
反感を煽り続けていたのに、

首相がここにきて、一部とはいえ沖縄への負担への理解を口にした途端、
その舌の根も乾かぬうちに、掌を返したように、沖縄に負担を押しつける
首相を卑劣だとの大合唱を始める。

何なんだこの二枚舌は。



どちらが良いかは私には判断できない。
しかしながら、
マスコミが二枚舌だということだけは、ハッキリと判る。

それぞれの発言者の立場や何を理想としているか等々は関係なく、
単に反首相・反政権の一点しか共同し得るものなど無いのに、
あたかも一枚岩で団結して不支持を突きつけているかのように
演出している。国民対首相・政権。ほとんどの国民が支持していない…と。

その内訳は相反する全くの敵対関係(移転反対/支持)であっても、

それを見えないように触れないように、演出する。


そういうことを続けているから、国民総意と呼びうる意見集約が
なんら為されることもなく、永遠と問題が先送りになってゆくばかり
なのだ。


本来、国民的な合意形成を元に、それを政治に反映させることが、
民主主義国家のあるべき姿であるはずなのに、
マスコミは(国民は?)
何を求めているのだろう。
失敗したら責任を一人で背負う「生贄」でもある「独裁者」を求めている
のではなかろうか。

確かに、何を目指すのかも、何を良しとするのかも、自らでは何も決めず、
ただ言ったことを強行するだけの「独裁者」をこそ良しとするかの如き言論
によってそれを求めている。何を成すか以上に指導力がどうだこうだと
いう事のみが問題とされている。政治がまるで「宝くじ」のようになっている。
引いてハズレだと判断すれば、直ぐ次を求める。お菓子を捨ててオマケだけを
求める子どものように。当たりがでるまで総理を次々変えて行けば、いずれ
バラ色の未来をもたらす救世主に当たるとでも思っているのだろうか?


民主主義国家において、あるべき指導者とは、独裁者ではなく、
広く意見を聞き意見調整を成す者ではないのか? であるならば、
幅のある言葉を口にすることも当然であり、いちいちそれをブレだとか
言いつのる必要はないはずだ。権限を委任し、また、利害対立する
それぞれが異なることを要望することだって当たり前だ。それを
わざわざ指導力不足だと指摘する必要もないではないか。


自民党時代の常識…密室で決めた無謬のプランを、一度でも国民に知れたら
何があっても変えることなく実行するものだ…に、いつまで囚われている
のであろう。本当にそれこそが本当に問わねばならない「ガバナンス」なのか。


マスコミの担うべき役割は、政府の動きが怪しいと感じたら、指導力だとか
ガバナンスだとかを持ち出してただ叩くのではなく、その動きを的確に捉え、
報道し、その動きに賛成する者と、反対する者とを声の大きい者だけでなく
社会の縮図になるように広く集め、彼らに討論の場を提供すること
なのでは
ないのか? そのための効率的な環境としてマスメディアがあるのではないのか?

わたしはこれを正論として言っているつもりだけれど、
莫迦の繰り言としか受け取られないであろうことも判っている。