社会人の安定志向強まる…って言っても、

  • 2010/05/30(日) 12:52:47

某所の希望アンケート

年功序列41% ←37%('09) ←32%('08)
能力主義35%


年功序列を求めている若者が増えているんですって。


この対比。今実際に問われているのは、
当時と同じ「能力差を評価に反映すべきかどうか」…ではなく、
「社員教育有り、無し」の差 なのではなかろうか。

単純な能力主義の会社は、自己責任で社員教育はしない。

それよりは、
年功序列の中で、目上の者が目下の者をしっかり指導する

そんな会社の方が理想…だと考えていることの結果であろう。

能力主義の言葉の持つ意味が、時代とともに、
変わった。現実の実態に伴って変わってしまっている。


一部では、能力主義の名の下で、社員教育を自己責任に帰し、
社員間の協力関係を築けないようにしてしまった。

そうなれば、
「能力主義」より「年功序列」を求めるようになるのは、自明だ。




本来の能力主義は、
社員一人一人の能力差を上司がしっかりと認識し、
指導必要な者に教育を施し、社員全体の組織全体の
生産力を上げるためのもの
だろう。

そのようなインセンティブを挫く「悪平等」と、それに伴い
個々人の努力が評価されないかの如き錯覚を社員に
与えないようにするためには、給与に多少の色を付ける
程度でも十分機能する。


そのようなものとして、求められていたはずだ
…と思う。



しかしながら、
能力の無い指導者が、自らの指導録の無さ、
無能・無責任を誤魔化すための手段
として、
それは取り入れられた。

放任主義の元に、自己勉強に任せれば良い として、
責任者・指導者・現場監督が、その責任を放棄し、
その無責任を誤魔化すためのものとして、
広まってしまった。


それに加えて、
待遇格差を大きくすればするほど、社員が勝手に
有能になるだろう
…と、たかをくくってきたことと、
すべてを若者の無気力と無責任に帰して説明すれば、
とりあえずの説明は辻褄があって見えた
ことによって、
長年、放置され続けてきた。

責任の無い者が、その地位に比例して無籍に(責任が無い)なのは、
言葉通りに当然である。…にもかかわらず、身分不相応の責任を
「無責任な若者」に、背負わしてきた。立場の強い者が弱い者に責任を被せ、
立場の強い者ほど、無責任(背負うべき枷が無い)になっていった。


その結果としてのこの数値だろう。


稼ぐ奴は、自分の実入りだけ考え、稼ぐだけ稼いだら、
それ故に傾いた会社を捨てて去ってゆく。
いつも必ず会社の利益と社員個人の利益が比例するとは
限らないのだ。それは、派遣置き換えの問題でも逆向きに同じ。

あかいくちびる

  • 2010/05/21(金) 21:33:10


口紅は、大人っぽさの印

その表現、おかしいと思うのね。


なぜなら、本来、老化によって赤みを失った者が、
その若さを偽装するための化粧なのだから。

子どものほっぺだとか、
若いからこそ赤味を帯びているものを、
老いで赤味を失った者が、その赤味を偽装・補填する。

しかし、その行為が流行し、常態化していったから、
している方が見慣れてしまってくれば、

不自然なほどに赤い色が、別の意味を帯びてくる。

大人の証だと。

子どもが憧れ、大人が子どもには早いと取り上げる。

同じ虚飾で補えば、元の良い、若い者には勝てないから。


もちろん。

気色ばむ…感情的な高ぶり…が、高揚を増し、
平時との変化として赤味を増すことの魅力もあるだろう。
皮膚の薄い部分ほど、その差が大きく顕れる。

性的な興奮、受け入れる気持ちのサインを、異性は見逃さず、
それを目安にして、つがってきた歴史もあるのだろう。

そして、黙ってても体力を消費する高揚をしない老人は、
省エネとして、化粧によって感情を虚飾する。


ただ、その無意識の内なる気持ちをコントロールできない、
未だ未熟な若者が、化粧で隠して平常を装うという効果も
期待できると言えば、それもあるにはある。


隠したり出したり、出す以上に誇張したり、その逆をしたり。

文化とは、流行の振幅によって、
タマネギの皮のように、折り重なっている。




人もマルチタスクは可能でしょう?

  • 2010/05/16(日) 12:32:39

人間に元々マルチタスクは無理…とか言った記事が
なんだか支持されていると言う。

そんなことないだろう。

例えば、
尿意を催してトイレに行かなくちゃと思うのも、
蚊が肌にとまったらそこを叩くのも
脳のマルチタスクの一つだ。

マルチタスクに対応していなければ、
年齢が幾つになっても漏らす…ということになってしまう。



それを敢えてそうは呼ばないのは、それらがほとんど、
無意識下や脊椎反射に組み込まれてて、意識的に行っている
行為に差し障るとは感じない程度のことだからだ。
(パソコンで比喩すれば、使用メモリーが極めて少ない)

様々なことが無意識下の自動処理に組み込まれることによって、
…言い換えると、前頭葉的な処理を必要としていたことを、
どんどん側頭葉に代価させ移し替えることによって…、
脳の
フリーメモリの空きを最大限に確保して目下の仕事を処理する
わけだ。

これをもっと一般的な言い方にすれば、「慣れる」だとか
「身につく」と言われていたものとなる。


その前頭葉的な部分“だけ”を問題にして、
「脳はマルチタスクに対応していない」なんて言って説明を
済ませていては、様々に熟練して身につけていたような
慣れや職人の勘のようなものを身につける機会を失って行く
のではなかろうか。


子育てだって、マルチタスクが欠かせない。

掃除をしているときだって、料理をしているときだって、
子どもが何か危険な行為をしないかには、常に、
注意を払っていなければならない。

マルチタスク無理…なんて言っちゃえば、
子どもがベランダから落ちても、
私…、一人暮らしで…、その時、料理してたから…、
とか言えば、落ち度はゼロだと思えてしまうだろう。


寝ている間だって、注意を怠らないことも、困難であれ、
絶対に無理なことではない。


料理だってマルチタスクだ。

湯を沸かしている間に野菜を切る。
しかし、湯が沸くタイミングは見逃さない。

となりで炒め物を作っている間も、
味噌汁が吹きこぼれないかをちゃんと確認している。



仕事中、上司が前触れ無く呼び出す度に、仕事が中断する。

そんなもの無い方が、効率的だ。


確かにそうだろう。自分の仕事だけを見ていれば。

しかし、部下の些末な仕事を後回しにしても優先しなければ
ならない事案があれば、呼び出すのが会社全体の効率を見れば、
その方が上だ。


もちろん、対局から見ても無駄な用事でいちいち部下を呼んでいれば、
会社全体で見ても効率を落としている。そんな管理者は無能と
誹られて当然であるが。

そして、家事中に子どもも同時に注意を払ってこなせるように、
上司の呼び出しに中断される事を心得た上で、目の前の仕事を
こなすことも可能だ。100%の脳のリソースを投入できないと
しても。


そして、切り替えの早さと、同時に注意を向けることへの慣れ
によって、尿意を催しても直ちにお漏らしせずに我慢できるように、
特に意識せず、尿道を圧迫してこらえていられるように、
夜寝ている間でも、おねしょをせずに居られるように、

上司の指示に備えることだって、本来できるはずなのだ。

きちんと意識して鍛錬していれば…。