首相の戦ってくれ発言の波紋

  • 2010/01/22(金) 19:22:25

首相の小沢氏に向けた「戦ってくれ」発言。
常識的に、論理的に、文脈的に考えて、
その発言は「法の下で公正に行動すればよい」
という意味にしか取れないであろう。

もしくは、「結果がどう出るかは関係なく」と
言っているような意味での発言であろう。


少なくとも、
「勝利に向けて私も権限を使ってでも協力する」と
言っていやしないだろう。



…にもかかわらず、大マスコミの論調はどこも、
「検察が絶対に正しい、
 その正義に刃向かう(戦う)のは、悪だ」

そう言わんが如くだ。


異常である。


マスコミは、過去の常識の上で思考停止しているのか、
頭が悪いのか、もしくは表に出せない思惑があるのか。

そう考えざるを得ない。




これまで、首相や政権党の関係者が、思わせぶりな
発言に過剰に反応していたのには事情がある。

過剰なほど深読みせざるをえなかったのは、


例えば、やくざの親分子分のような関係にある場合、
親分は子分に直接命令や言葉を介さなくても、
親分の内心を忖度して動くような関係にあることが
十分あり得る訳だ。


政権党と官僚との関係が、長い癒着・馴れ合いの関係が
続いていれば、そのような関係ができている蓋然性が
あるていど伺えるという定式が社会には不可分にあり、


なおかつ、1970年代には、そのような関係であると
言いうるに十分な状況証拠や関係者証言や、
そとしか考えられないような事件が拭えないほどに
噂されているような状況であった。


そのような条件が整っていて、はじめて、
「一見すると客観的な言葉であっても、真意を正す」

必要が、マスコミに生じると言いえるえる。




さて、政権の座について一年に満たないような政権が、
そのような関係を、直ちに構築できるであろうか?

そんな事を信じるのはあまりに非常識である。

あの失言に近い軽口の多い鳩山首相が、そんな高度な
「腹芸」を使いこなせると信じているのだろうか?


庇い、庇われる必要が生じるほどの、弱みを握り合う
ような関係が熟成されていると信じているのだろうか?



今のマスコミの異常な論調は、もはや“膾を吹く”
ようなものだと言ってしまっていいだろう。


これまでの無謬神話が成立している時代の政治であれば、

「首相がなにか希望・願望を口にすれば、それは、必ず実現する。
 逆に言えば、周囲の人間は実現のために動かなければならない。」


そんな定式があったと言えたであろう。


しかし、そんな定式がもはや存在しないのは自明なことであろう。
さんざん、「官僚は自己保身のために動いている」という事が、
「常識」として語られており、
なおかつ民主党は、「官僚の汚職・天下りを撲滅する」という
建前の元で動いている政党であるのだから。

誰が、「首相の心情だから、その実現のために動かねばらなぬ」
などと考えて動くと言うのだろうか?

そんな信頼関係が構築されているのならば、とっくの昔に
天下りは根絶されていただろうし、事業仕分けの横串だって、
もっと沢山出てきてよいはずであろう。

にもかかわらず、あの発言をここまで煽動しているのは、
どんな意図に因るのだろう。
するマスコミと官僚(検察)との共謀関係の中で、天下りや
癒着構造を脅かす存在の排除に動いているとすら疑えてくる。
民主党は「記者クラブ制度」の問題視をしているし、
「取り調べの可視化」という両者の聖域を脅かそうとしている。
彼らが共謀するに足る動機も十分にある。






鳩山首相の指導力の無さは、小沢幹事長の影響ではなく、
例えば「母親からの資金援助」などの形で、行政府からの
脅迫に屈した結果だと考えた方が辻褄が合うように私には思える。

だから、事業仕分けが不十分に終わったことと、資金援助問題と
バーターだったと受け取るべきであり、
藤井財務大臣の辞意〜小沢氏の影響力行使…「政治主導発言」を
受けて、官僚の聖域を脅かす小沢の存在を潰すための「関係者逮捕」
であると見立てた方が、すっきりする。