一種の人権侵害、人種尊厳の毀損

  • 2009/12/04(金) 20:11:08

児童ポルノ規制

その中身は注視して見なければならい。


相対的に幼い外見である日本人(および東洋人)を
性的対象にすることを「罪悪だ」とする価値観を
植え付けることによって、その勢力を奪おうとする
西欧社会からの人種差別の押しつけが紛れ込んでいる。

欧米人体型を理想とし、日本人らしい体型を醜悪だ
とする価値観はすでにあり、その延長線上に、
日本は児童ポルノの温床であるとする偏見も
構築されているのではないか…とすら伺える。


現に、多くの日本人はその体型にコンプレックスを
持っており、自信喪失している。非婚化晩婚化の
流れの中にも、これが原因の一つとして根を下ろして
いる…と言える側面もあろう。






萌えやロリという今は未だネガティブな形ではあるが、
日本人の日本人らしい体型が再評価され始めてきている。
その流れに水を差すような形で、単に「かわいい」モノを
好ましく思っているだけの存在を、あたかも犯罪者そのもの
であるかのような扱いで、表現規制の問題の中に混ぜ込んで
くる。

これは…抵抗のある表現ではあるが…、前世紀において、
黒人に欲情するのは獣姦するのと同じだとみなすような、
人種差別の問題だ。この例えで対比しているのは、
幼い外見:肌の色、異常性癖:獣姦





誰であれ、恋の芽生えは未成年に始まる。そして、
健全な成長途上にあれば、その興味の対象も、
身近な異性…つまり未成年…となるのが当然であろう。


しかし、社会を揚げて、それを異常性癖の証拠だとか、
規制の対象だとして、扱うならば、日本人の大半は、
コンプレックスと罪悪感を不可避的に植え付けられる

ことになるだろう。

許可されたポルノと自分との間の明らかな違いから
自分の側が異常な存在であるのではないか…とすら
感じてしまいがちな多感な時期でもあるのだから。

それは、先行世代が敗戦後の欧米翼賛の中で、現在
すでに才能・容姿的にコンプレックスを持ってしまって
いるものに類似するものとして刻まれることになる
であろう。




これらは、
単に大人の立場から、消費者として大人だけしか
議論の前提に入っていない
から、ペドフィリアなど
といった話にしか目が向かないのではないか。


思春期の青少年がその内なる性的趣向に目覚める時、
その感情が至極健全なものである…と、社会の側が
受け入れるためには、ある程度、未成年を性の対象と
見なし“得る”表現の存在は、保証しておかなければ
ならないのではあるまいか。

もちろん、異常性癖の存在は微少ながら在り、
そのような存在のあることを否定しはしないし、
それを異常だと見なす価値観も欠かせないもの
でもあろう。


しかし、そのような性的異常者の存在を否定せん
がために、言い換えればその存在が「存在する」ことが
発覚するような機会を奪うために…
…これはホームレスの存在を覆い隠すために
 公園のブルーシート小屋を撤去するが、
 住居不定者の存在は全く減っていないような
 欺瞞である…

…健全な青少年を犠牲にして良いのだろうか?


異常性癖を嫌悪するが為に、その者の愛好する対象をも
奪おうと考えるサディスティックな感情が、社会の側に
存在することを理解できないものではない。
…同じく
ホームレスを蔑視する視線があるからこそ、一部少年は
ホームレスを襲撃するような暴挙に出るのだろう。


しかし、その理屈で言えば、…例えば、ランドセルに
フェティシズムを感じる極々一部の存在の為に、
ランドセルの販売を禁止すべきなのだろうか?
小学校からウワバキを盗難する変態が逮捕された
ならば、ウワバキを禁止すべきなのか?
…その理屈からであろう、ブルマーはすでに多くの場で
廃止されている。



現実に被害者のいない二次元表現までもがその対象と
なってくると、私の感覚としては、ランドセルや
ウワグツを規制すべきだと言っている側の議論と
同レベルであるように感じられてしまう。





もちろん、二次元表現であっても、鬼畜モノや
猟奇・犯罪行為の表現は、規制の対象にしても
良いかもしれないとは考えている。

しかし、その場合は、児童であるか成人であるかを
重要な論点だと言うのには無理があるように考える。

そのどちらであっても好ましいものではあるまい。


そして、個人的に思っていることとして追記すると、
必ず死人の出るようなサスペンスモノを、四六時中
無料で垂れ流している現状のマスメディアの現状の方が
よほど社会的に害悪である。とすら思っている。

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