一心独立して…

  • 2009/11/28(土) 18:35:41

「一心独立して、一国独立す」


私はこの言葉、間違っていると思います。
現実は、



「一心独立して、一国融解する」



であると考えています。



実際、戦後民主主義の果てにはミーイズムが横行し、
国は上手く利用して、多くの利権を搾取するだけ
の対象となり、仮に国が危機に陥れば、自分にとって
都合の良い国外に逃亡すればよい。と強弁するほど
にまで、独立した個人となってしまいました。


こうなってくれば、「国が潰れれば自分の明日も無い」
とまでに考えていた、戦中の軍国少年の方が、よほど
一国の独立に欠かせない重要な存在であるようにすら
思えてきます。

この「戦後〜一億層中流〜近未来」の個人の価値観の変遷は
そのまま、「明治維新〜大正デモクラシー〜軍国主義」の
流れに重ね合わさるのではないか。



もちろんこの言葉が語られた頃に求められた価値観とは、

幕藩体制の元の士農工商身分制度によるお上意識、
大極を見ずに目先の自分の職域だけを考えていればよい
というのではなく、世界に通用する人材として、自己の
権限以外の事にまで判断を下し、他人への依存心を持たずに
活躍できる人材を多く欲したということであろう。


また、戦後、海外進出した多くの日本人…前提として
不動の愛国心を有していた戦中的信念を携えた者…の、
背中を押した言葉でもあっただろう。



そして今、この言葉が再び求められてる背景とは、
国に依存した…フリーライダーとでもいうような、
クレーマーにも似た存在が目に余るなかにあって、
「国が国民の面倒を見る責任を放棄しよう」とでも
いうような背景から持ち出されている。

「国が何をしてくれるかではなく、
 自分が国に何ができるかを考えよ」といった
言葉の“代用”として。




やはり、「独立した個人」は国を必要としない。

国情が危うくなれば平然と国を捨てて、
自分にとって都合の良い国をただ選ぶ
そんな存在であろう。

それは資産の海外持ち出しや、知識の流出と呼ばれる
ような形で認知される。日本で認められない者が、
アメリカで成功するようなエピソードとして。

組織の長ならば多国籍企業の形態をとり、安い従業員を
獲得するために国外に工場を構え、税制の優遇を知れば、
平然と国外へ本社を移すことも厭わないだろう。



一国独立するとは、団結された組織とは、社会とは、
自分一人では生きてゆけない者が、一人一人集まり、
オールマイティには生きられないけれど、何か一つ
得意な能力を持った人たちが集まり、互いの欠点を
補完し合いながら有機的に関係を構築しあっている
関係の総合としてのそれであろう。

それ故に、自分は他人を必要としつつ、自分は
誰かにとって社会にとって欠かすことのできない
存在としてパーツとして責任を負っている。

そのような中で、個人は国の一員として国の存在を感じ、
そのような者に支えられる形で、国は盤石の国体を示す。





一心独立して一切の依存人を断ったオールマイティな
存在は、マニュアルさえあればどんな仕事もこなせる
人間として、都合良く重宝されるが、あなたが死んでも
代わりは居るもの…と使い捨てにされてゆく。

少子化が進んでも、社員をリストラしても、失業者が
世に溢れても、一心独立した者にとっては、他人事。
何の問題も感じずに、ただ自分の生活水準を上げるためだけに
脇目もふらずに没頭しているような存在であろう。

益川センセイ。貴方にはガッカリだよ…

  • 2009/11/26(木) 12:39:05

みのもんたの生放送で、ノーベル賞受賞者であらせられる
益川先生が発言しているを観た。

蓮舫議員の釣り言葉(二位ではダメなんですか?)に対して、
厨房みたいに沸騰しちゃって…いろいろとガッカリさせられた。



そもそも、日本が世界一を目指し、そこに追随・肉薄してきた、
戦後後、欧米大国に対して、同等以上の予算を投入していた
と言うのだろうか? そうではあるまい。
遠く及ばない中で、知恵を絞ってきたからこその「今」であろう。


そして、“今”、子どもの学力やスパコンの性能で日本を抜いて
いった国々は、どうなのか?
この経済大国日本を凌ぐような投資を何十年と行ってきたからだ
とでも言うのだろうか? そうでもあるまい。
カネさえかければ一位が維持できるとでも思っているのだろうか。

 「今」=すでに過去となった今の常識
 “今”=未だ常識にはない現在の現実


カネさえかければ…そんな情熱の無さが、傲りが、
“今”の日本を下降させているのではないのか?

スポーツ…オリンピックにしても、日本の税金投入の少なさは
有名なこと。情熱ある個人に負担が集中していることは問題
ではある。しかし、日本の成績と税金投入が比例しないことは
似ているのではあるまいか。そして、選手個々人の、誰もが、
世界で一番を目指している事においても、両者は同じ。




大学での学業成績よりも、言いなりに動く運動部員を…と
久しく言われてきた大企業の採用方針。はたしてそれは
今、どのように改まっているのだろうか。

「人間力」だとか「コミュニケーション・スキル」だとか
いった言葉が先行する価値観の中で、
子どもが「科学」や「技術」に夢を持てるはずもあるまい。

その常識の元では、どんなに予算が付いていたとしても、
縁故でピンハネされるだけだ。それが今の常識であろう。

二極化も、子どもの夢の無さも、学業への徒労感も、
それらが「自分とは関係のない世界のこと」としか
思えない故に、醸成されている…現実の必然であろう。





研究者が“一番を目指す”ことの重要性は否定しないが、
部外者に、何かちょっと言われただけで、揺らぐような
そんな程度の信念で、「一番を目指しています」とだけ
ただ言っているだけの口先・看板の言葉で、世界一に
手が届くはずもあるまい。

一時的な予算の縮減や、研究実費を問わない単なる総額が
問われただけで…そんなことだけで、直ちに全てが失墜する
かの如き発言に、日本の科学者・研究者には、唯々ガッカリです。

政治家や財界・一般人ならいざ知らず、科学者の立場からは、
そんな発言は聞きたくはなかった。

「メダルを逃したのは、国が支援を打ち切ったからだ」
オリンピックで選手や監督がそんな発言をするのを
聞くような気持ちだ。あんなものスポーツの祭典ではない。
政治と技術力の祭典である。と本音を聞かされる思いだ。



ただ、一般人として、基礎研究に税金の投入増額を求めるし、
カネになるからという理由で、その研究成果を私企業に独占
させるようなことは止めて欲しい…と私は思っています。

事業仕分けの影

  • 2009/11/22(日) 19:19:45

事業仕分けの叩き台のペーパーを
財務省が準備したことを指摘して…、


すべてが財務省主導で行われているかのように
発言をする者は、

純粋に徹底した政治主導を求めている
のではなく、
事業停止宣告された天下り団体などの間接的な
利害関係者であって、廃止を不当とする世論喚起
のための工作員としての発言
なのではないか…

…とも思えてしまう。



誰の思惑であろうが、無駄なものはそもそも
廃止すべきであろう。

財務省云々を、懸念材料として指摘しておくことの
大切さを理解しないわけではないのだけれども、
論の立て方、ものの言い方というものがあるだろう。


もし、財務省の意見に一致するからダメだ
ということになってしまったらのなら、
事前に財務省に先に言わせれば、その事業の予算は
切れない事になる。逆に言えば、切りたくない事業は
政治家の前に財務省から指摘させることで温存できる

ことになってしまう。

このことを指摘する論者の口ぶりや、事前に纏めた
VTRの編集のやり方などを見ていると、
単なる印象論で事業仕分けのあり方にケチをつけている
ように見えて仕方がない。

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