責任者が責任を負う社会へ向けて

  • 2009/10/22(木) 20:51:16

これまで元官僚はダメだと言ってきた民主党が
矛盾している。とばかり言われている。


しかし、それだけを言っていた訳ではあるまい。

自民党の日銀人事に反対してきた一番の理由は、
「財金分離の原則」を堅持することであり、
その目的の為の手段として、元大蔵官僚である
官僚の横滑り人事に反対していたはずだ。

同じ理屈がそのまままるまる郵政人事に当てはまる
のだろうか…と思うし、でなければならない理由も
あるとは思わない。


大衆の記憶には「官僚だから反対」しか残っていない
のは仕方がないとしても、マスコミがそのことに
全く触れずにただ、言行不一致だとばかり責め立てる
のは、如何なものだろうか?


そもそもも、あるべき「政治主導」と言うのは、
意志決定を行うのは、国家議員であるべきだというもの
であって、裁量を行使しえる者には、その裁量に応じた
責任を持つべき
であり、その責任とは例えば解任・罷免
がある
…と言うことであろう。

失政の責任は、国会議員ならば選挙によって受ける。
元官僚であろうが、民間組織に入れば、その失策の
責任は、業績難という結果として表れる。

それこそが、税金で身分保障されている国家公務員とは
異なるのものでしょう。例えば、軍人が上司の命令に
絶対服従なのは、その行為の責任は、命令の範囲内において
上司が負うものであるように、官僚も、国家公務員も、
国会議員の意志決定の元で従順に働くべきもの
であって、
公務員当人の意志や理念に基づいている訳でないから、国民
大衆は、行政の過ちを、本来、公務員に向けるべきではなく、
それを命じた国家意義員がその責を負うことによって、
成立する政治制度であるはずだ。


それを、自民党政治が意志決定まで官僚に丸投げにして
きたが故に、失政の責任を負うべき意志決定をした者が、
責任を取ることが決して無い「官僚主導」
という実態に、
匿名の覆面の国家体制に、なってしまったのであろう。

また、いちおう自民党も目指てはした「政治主導」とは、
失政の責任を自ら追うことを拒絶し、官僚に責任転嫁すること
でしかなかった。奴らが勝手にやったことだ…として。


失政の責任がきちんと追及されるのであれば、
元官僚であろうが国会議員として働けばよい
し、
その他組織でもそれは同じだ。

天下り体制が問題なのは、責任を決して負わない
官僚組織が意志決定をして、税金が投入され続ける
「官製民間組織」が、自らの責任や存在意義を自ら
自覚すること無く、唯々諾々と命令に従って動いている
現状が問題なのであろう。


この、本来本質であるべき部分から、目を逸らした
ような議論ばかりが、何故、まかり通っているの
だろうか。


亀井氏に後任指名された者が、適任かどうかは、
私には判断しかねるけれども。

その人事に本当に問題があるのであるならば、
彼が官僚時代にどのような「常識」の元で教育されて
いたのか。どのような人脈が創られていたのか、
誰に逆らい、誰に逆らえない…のだとか、
マスコミは、そういった担うであろう役割を、
個別固有の情報として報道すべきであろう。
一般論で誤魔化すことではあるまい。

伝えられていることの一つとして、彼が現役時代、
独断・強権の人材であったというのならば、それは
官僚組織の下請けとしての「天下り」仕事を、彼が
担うとは考え難い理由になるのではなかろうか。

ただ、彼が彼の政治信条として、国家間として、
大蔵官僚支配体制を理想としているのであるのならば、
それを伺わせるエピソードと共に糾弾すべきであろう。



人事の良否は私には判断しかねるが、少なくとも、
現時点で流布されているマスコミ論調には、説得力を
ほとんど感じない。

官僚という存在を、生涯身分のような前提認識で、
それを不文律としたまま、この問題を扱っている
としか私には思えない。

官・民・公・私

  • 2009/10/22(木) 12:29:35

郵政人事…亀井氏に後任指名された者が、
適任かどうかは私には判断しかねるけれども。


マスコミ各社が、元官僚人事に対して、

「官から民への流れに逆行」と挙って煽っている。

その表現は正確だと言えるのだろうか。



官から民へ」と言っても、
自民党は実質「官から私へ」であって、

求められているのは、
その私物化された公共物を公へ戻すこと…
言うなれば、「私から公へ」であろう。


 民(完全私物化) ← 官(密室・官僚私物化)


 ↓         :

 公(反・私物化) … 官(公開・透明化)

そもそも、「官から民へ」という言葉が踊り、
それがが求められたのは、私物化された官を
官の私物化から取り戻すこと故であって、
その手法の一つとしての「官から民へ」
であったはずだ。それが、

「官(密室)か民(公開)」を求めていたはずのものが、
官…実質密室だが、基本公開であるべきもの から、
私…公にあらざるもの=公開しなくても良いもの
関与すべきでないもの…としてしまった。

その一連の「改革」は訝って見れば、
情報公開制度の発足から、その実態を
国民・市民の目から遠ざけるためにこそ
行われたものである。…とすら見えてくる。

その本質を覆い隠すためにこそ流布された
「官から民へ」のスローガンであった
のではなかろうか。…とすら思えてくる。

続きを読む