私学助成金批判

  • 2009/08/30(日) 12:54:56

例えば、

宗教学校は信者を量産する人間工場でもある
訳なので、その学校運営は、信者によって
支えられるべきであろう。税金投入することなく。


私立学校も似たようなもの。
宗教ほどではないにしろ、創立者の理念や方針に
基づいた人材を育成するという目標に沿って
運営されているのだから。同じく人間工場である。
OBやその元で働く恩恵に預かる者の寄付によって、
運営されるべきであろう。

それらは、学閥のような形で生涯に渡って人脈を
大きく左右するような現状を併せて考えれば、
もはや宗教と言って良いような側面も読み取る
ことも可能であろう。



これは、個人個人が受けた恩を、どこへ返すか
といった価値観に繋がってゆく。



そこで、
国とは、基本的にそういった繋がりからあぶれたものを
下から総てすくい上げるような存在だと見なされる
ようになればいい。…そう私は考えている。

極端な話、孤児などは天皇を親として見立てるくらいに。

社会

  • 2009/08/29(土) 18:52:26

人と人の間と書いて「人間」
人間とは生物個体ではなく、その集合体として
描かれる象徴なのだと考える。



同じように考えてみると「社会」とは、
社と社の出会う狭間の空間、異なる常識を互いに保持
している異世界同士の交流を、互いを尊重するための
作法が必要とされる空間である。

…と見立てることが出来るのではなかろうか。



国家と国家の利害相反する関係を、穏便に交流するために、
国際法が作られるような構造の、中間体として、「社会」
という言葉を見てみたい。


今の時代、社会という言葉の持つ意味が、世界とでも言うような、
先の意味での「人間」とでも言うような、その中で生きる者の
在るべき行動様式を留めたものであるかのような印象で用いられ
ていることに対する問題提起でもある。

異なる存在を認めず、「空気」によって行動を強制的に統一
させているような、誰もが同じ「常識」に従っていることを
前提にしているかのような。

錯誤誘導

  • 2009/08/27(木) 23:37:15

前提は正しい
しかし手法が間違っている。



失敗でも錯誤でもない。戦略的に使われる手法だ。

例えば、最近では、金持ちの資産を市場に
流さなければ、経済が活性化しないというものがある。
確かにその通りだろ。それが環流するのなら、
市場に活気をもたらすだろう。それは否定しない。


そして、これを実現するための手法として、
よく言われるのが減税だ。消費を喚起する。
安ければ買おうと思うはずだ。
…と。
なんとなくそうだと思ってしまうのだが、
よく考えてみて欲しい。

根本的に、金持ちは無駄な物は買わない。だからこそ
金を持っているようなもの。基本的に必要な物しか
買わない。
減税なんかすれば、本来必要なものを安く買える
というだけで、残された資産はむしろ減税など
しないより増えてしまう。逆効果だ。


ただ、巧妙というか姑息というか、ともかく、
減税というアクションによって、消費が前倒しに
なる分だけ、短期的に見ると消費が拡大したかに
みえるデータが取れてしまう。これを実測データの
裏付けという錦の御旗
にして強行されてしまう。
故に、解決どころか悪化の道を繰り返してしまう。




老人の使うあてのない資産を市場に流すには、
もはや課税しかあるまい。

彼らは、増えるかもしれない…というような欲得を煽っても、
そんな夢を見る時間は残っていない。日本は高齢化して
いるから、相続税を優遇なんてしても、死にかけの老人から、
当分死なない老人へと引き継がれるだけで、市場への解放を
遠ざけるだけだ。

何より、このような仕組みに気付かずに、目先の目標の為に
一応の対応を取っている…訳であるはずはない。意図的
戦略的に行っていることであろう。景気などは大衆の同意を
得るための方便であって、本音は既得権の温存にあるのは
明らかだろう。でなければ馬鹿ということになってしまう。



竹中はよくこの手のロジックを多用するから
注意が必要だ。


例えば、彼がよく叫んだ「規制緩和」

独占常態の業界で既得権が温存されているから、
競争原理が働かず規制緩和が必要だ
という。
なるほどその通りだ。参入業者が新しいアイデアや
合理化を持って挑んでも、不当な圧力をかけられて
理不尽に潰されてきた。腐った組織が温存され、
国際競争力が育つはずもない。


しかし、緩和された規制は、強者の義務とでも
言うようなものばかりだった。足かせを外された
大企業は先行者の特権で独占状態をさらに強化し
ますます下請けいじめが横行する状況になった。


結果、既得権と言うようなものは、ますます強化
されることになってしまった。




例えば「官から民へ」の「常識」のようなものもこれだ。

公のものならば、万民の目に晒され、不正にチェックを
入れられた
ものを、民営化してしまえば、一切手の届かない
ブラックボックスに入ってしまう。特権は事実上温存された。


国会議員の怠慢によって、事実上官僚に私物化されていた
税金が、これで、名目共に私物化されてしまったわけだ。


この「常識」が吹聴され始めたのは、情報公開法が成立して
からであろうか。
もしかしたら、信じがたいことではあるが、
「官から民へ」の「常識」のようなものもの出先は、
官僚の下から発信されていたのかもしれない。

普通に考えれば、公人である役人の情報を、民間人でないことを
理由に、情報公開の義務づけ、それを徹底を行えば、私物化なんて
できやしないし、そのような制度をこそ、整備すべきであろうのに…。