あるべき生活保護体制とは

  • 2009/07/09(木) 22:52:31

生活保護には現物支給をするべきではなかろうか

現金で支給するのではなく。
狭くとも劣悪でない住居を提供し、
栄養の計算された食事を配送する。

現金支給では、遊興費に消えかねないし、
食事だって、栄養価の偏ったジャンクフードに
流れがちだ。
第三者に利用され悪用されることだってある。


ここで、そんな過保護では、自立を妨げる
…と言われるだろう。

が、ちょっと考えてみて欲しい。



金持ちは、栄養士を雇い料理をさせ、
ハウスキーパーを雇い、雑用をさせている。

もちろん金持ちには金を使って貰わなければ
経済が回らないのだから、それを悪いと言う
つもりはない。大いにやって貰ったらいい。

そして、金持ちは、そのような日々の雑務を
他人に任せているから、複雑な仕事に全勢力を
傾けることができるが故に成功しているとも
言えなくはないわけだ。


しかし、貧乏人は、そもそも能力が無いのに、
そのような生活から税からライフラインから、
食事から料理から家事から…と、無限とも言える
課題をも同時にこなせと言うのは、そもそも
無理なのではなかろうか。

それが、生活保護に落ちたら抜け出せない。
飼い殺し政策だと言われる所以だろう。


であるならば、せめて、ささやかなスキルを身に
つければ、少なくとも生活してゆけるようにすれば…、
国が管理し、国として保証すべい生産の基盤を固め、
また底上げするような、インフラ傾向の強い場面で、
仕事を保証しておくことも、国の責任の一部では
なかろうか。少なくとも、飼い殺し状態で放置する
よりも、確実に国としての生産力は増加するだろう。


知識のある組織が健康管理を兼ねるわけだから、
健康状態も保てる。将来の医療費問題のことを
考えるまでもなく、生産性は上がるだろう。
すべてを当人任せにするよりは。

そして、規格大量生産が経済効率が良いことが
あきらかなように、生活保護を現物支給する方が、
現金支給した場合の各々が、勝手バラバラに
消費行動するよりも、国の負担は少なくて済む
はずではなかろうか。


そもそも、昔のドラマなどで描かれる炭鉱労働者などは、
おなじ食堂で食事を買っているように描かれていたし、
そこでは誰も自炊などしてやしない。「嫁さんもらえよ」
なんて言われたりしている。そんな状態にあって、彼らを
自立していないなんて言う者は、いやしないかっただろう。

まず生産活動を担わせて、熟練しこなれてきて初めて、
家庭のことを考えて、家事に手が回るようになる。
そんな段階を踏んでいた。だからこそ、あの時代、
急速な経済発展ができていたのであろう。
今がそうでないことも、そんな青年の境遇を考えれば
自明なことだ。

例えば、なんであれ外食が贅沢だなんてのは、食品の
原材料が潤沢な農家・農村の常識であろう。都市民は、
そのような自活の基盤はそもそも失われている。


仕事が無い者にいくら現金を支給したって、経済的な
自立には繋がって行かないし、生産活動における熟練が
進むわけでもない。例え消費者として賢くなったところで、
家事生活の自立を成し遂げたって、じり貧だ。対策が逆立ち
している。
そして、多くはそんな方向にすら向かえず、易きに流れる。
支給額が幾らあっても足りない者が増えるばかりだろう。

今のような対策では、保護にも自立にも繋がらない。

そうではない者もいっぱいいると言われるならば、
それは行政のおかげでではなく、民政の側からの
支援・人脈や交遊のおかげであろう。

現金だけでは一時の輸血にはなるだろうが、傷口そのものを
塞ぐことにはならないはずだ。自立支援に必要なのは、適切な
点滴の量がどれだけか…というようなカネ勘定の議論ではなく、
絆創膏とリハビリのはずだ。




競わせることで人は成長するのだろうが、
椅子を減らし続ける椅子取りゲームをやっているよりは、
椅子に座れずあぶれる者を出し続けるよりも、全員参加して
生産活動に従事させていた方が、全体の生産性は上がるだろう。
どう考えてみても。

クビを切る事しかできない経営者が、政治に口を出していて
国が豊かになるはずがない。