犯罪抑止のあり方…北風と太陽?

  • 2009/07/07(火) 19:06:30

無差別殺人の精神分析 (新潮選書)
片田 珠美
新潮社
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読後…ではなく、まだ途中(P.77)だが…、私が考えるのは、

「丑の刻参り」のような様式は、やはり必要なものだ。と。
そう痛切に思う。「雛流し」のような風習も。

そのような行為は、特段、異常者の行いだとか、
迷信で効果がないだとか、一般に思われることだが。


それらは、実際にこの世に生きた人間に転化することなく、
まず、無害な藁人形や、紙切れのヨリシロに、思いをぶつけて
くれているのだからだ。


もちろん、それによってその者の不遇な境遇や、
鬱屈した欲求不満が解消することは無いだろう。
一時的な沈静はあったとしても。

しかし、脳内だけの妄想ではなく、物理的な現象を
伴った行為は、間違いなく証拠が残る。


証拠を辿れば、欲求不満を持った、潜在的な驚異を、
事前に特定できる。抑止することにも繋げられよう。

恨みを持っている者の居ることの証拠は、風評となり
治安に悪影響を及ぼすことも予想できよう。しかし、
そのような行為が行われる場所を、あらかじめ
普段一般人が近寄らない場所に限定しておけば、
それは抑止できる。


ここで、注意しなければならないのは、
この事前の対策として、呪詛を行う者を、
その恨みを抱いていることをもって、
この行為を罰してはならない…ということ。

潜在的な悪を事前に除去したいと考えがちな
気持ちは分からないでもないが、そんなことを
してはならない。

もし、そのような対策で抑止しようものなら、
事前に証拠を残す「呪詛行為」などを行う者は、
居なくなる。つまり、欲求不満を募らせている者を、
事前に特定する術が失われてしまう(これは、
インターネットの過剰な検閲のもたらすであろう
危惧とも通じる)。

行き着く先は、取り返しのつかない事件が起きる
ことによってのみ、そのような存在を知ることは
ない。そのような社会である。



そして、この書で指定されているように、不特定多数への
敵意の転化は、自らの内なる悪への攻撃から芽生えている
のだから。善なる存在でいたい。善なる存在へと向かおう
とする意志の現れでもある。

であるのだから。そのような思いを、取り返しのつかない
行いへと向けてしまう前に、保険として、安全弁として、
「呪詛」のような行為は、上記のように私が指摘したように
社会のためであるとともに、その者のためにも必要な、
あれば助けとなりうるものでもある。

そのような機会まで奪ってしまうことが、抑止のための対策
として、はたして有効であるのか。考えてみて欲しい。




ちなみに。読んでいて一つ怖いな…と思ったのは。
原因と言いうる要因なんてものは、犯罪者の経歴を
くまなく探せば、なんらかのものは必ず見つけられる
はずなのに、そのような手段で、類型に当てはまるもの
として集められた具体的切欠としての「原因」が、
あたかも犯罪者予備軍のレッテルとして流通しかねない
ことを強く予感させる文体であること。
筆者はそのことへの注意を促してはいるが、補注・但し書き
の印象以上のものではない。

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