羮に懲りて膾を吹く

  • 2009/07/06(月) 17:32:59

戦中・戦後の食糧難によって、
飢えた事情は判る
けれども、
だからといって、子どもにはただただ
贅沢に食わせばよい
…というものではない。

自分が飢えたから、
子には孫には貧しい思いはさせたくない

…という気持ちは分からないでもないが、
それによって、肥満児が社会問題化した。

そうなってしまえば、それはもはや
優しさではない。エゴである。



具体的に因果として指摘されはしないが、

上記の事情の反動として「ヘルシー指向」が
ある
のだろう。

戦中世代に無理矢理食べ過ぎにさせられた
潜在的苦痛
から、相対的な拒食指向になっている。
ダイエット趣向
…これも同じ原因の別の現れ。

その辛い思い出から、子どもにはヘルシーな食事を、
と心がける
ことは正しいことなのだろうけれど、
「ヘルシー」というのは言葉だけで、単なる
野菜食を子どもに強制し、脳の発達の遅れが
懸念・指摘されるまでになってしまった。

それももはやエゴである。

「ヘルシー」という言葉は、もはや
健康的という意味を失ってしまっている。



メディアでしきりに塩分が危険だと言われたから、
汗をかく肉体労働者にまで、減塩を強いることと
なった。生命活動に欠かせないミネラル欠乏に
よって、どれだけの人が命を縮めたことか。

そもそも伝統的な食品が、有害なものとされた
のは、
例えばデスクワークの増大・空調設備の充実など
によって、汗をさほどかかずに済むようになった
から
であろう。

あの時点で正すべきは、減塩の勧めよりも、
汗をかく運動のあり方であった。

その事は、様々な生活習慣病の蔓延と、
その対策として薦められていることからも、
もはや自明なことだろう。