水からの伝言を価値付けてみた

  • 2009/05/31(日) 12:47:04

現象として、因果…行為と結果の関係として、
結局の所、科学的にも正しいと言ってしまって良い
のではなかろうか?


無意識の顕在化の手法として。

それは例えば、ダウジングや、オーリングテストや、
ターンテーブル、狐狗狸さんと同系という意味で。



人は、どんなに意識的に公平・平等に扱っているつもりでも、
それは「つもり」であって、無意識下で差別的に扱ってしまう
ものだ。


ガキであるほどそれは露骨であり、成長とともに…自制心の
馴化とともに、それは客観的にも違いの分からないほどに
意識的に高めることはできる。

それはそれとして、究極の所、無意識の抑圧というものは、
完全に行うことはできないだろう。昨今では、脳波測定や、
脳血流量のようなものの測定がリアルタイムで行えるように
なっているし、その先には、可能性の話としてではなく、
脳に直接、無意識の作為の有無を聞くこともできるようになる
かもしれないとしても。


そんな無意識の差別を、意識上に引き上げる手法の一つとして
「水からの伝言」も数えて良いのではなかろうか。



結晶構造というのは、物理的に安定状態の方が整然と出来上がる
ものなので、嫌いなモノを無意識に相対的に粗雑に扱っている
とすれば、嫌いなモノ・悪いモノの方が、良いモノ・悪いモノより
結晶構造が乱れて、汚いモノに成ってしまう可能性は高いはずだ。

このような前提の上では、例えその現象の説明はとんでもなくとも、
行為と結果の関係に表れる因果関係の説明と一致した結果が得られる
蓋然性は高いわけだ。もちろん今とんでもないと言ったのは、
水が記憶を持っているという説明のことだ。



ただし、注意しなければならないのは、よくあることとして、
好きな方を意識しすぎてしまうことによって、ことあるごとに
アプローチをかけてしまうなどして、好きな方が、嫌いな方よりも
形が悪く汚くなってしまうこともある
…ということ。

それは、植物を育てる場合もしばし見られることで、愛情を込めて
水をあげすぎてしまうことによって根を腐らせてしまう。しかし、
そうやって泣いているその裏で、まったくほっておかれた方の花が、
何事もなく優雅に咲いていた…というような類型として、少なからぬ
方が体験していることであろう。