勉強習慣習得手順

  • 2009/05/25(月) 18:11:04

宿題のできない子どもに、習慣を身につける方法


まず30分なら30分、一時間なら一時間。
内容関係無しに、拘束時間を決めてしまう。
何があっても出さない。

気の紛れるような誘惑は一切ない退屈な空間に、
時間が来るまで拘束する。

どんなに泣いても暴れても、無駄だと観念させてしまう。


子どものその退屈に耐えきれない叫びのはけ口として、
単純な作業を与える。簡単でも成果が見えるモノがいい。

慣れてくれば、それにも退屈するだろうから、その都度、
難易度を上げて行く。そこで初めて、おだてや叱咤、
自尊心とプライドを擽り脅かして揺さぶりをかけて導く。

課題レベルが追いつけば、宿題などをさせるのもいい。



拘束されることが、当人にとって当たり前になっている
状態になって初めて、課題を早くクリアしたら、終了時間を
短くすることを提案する。その時点であれば、それが
ご褒美として機能するようになっているはずだ。

もちろん裏の意味として、クリアしなければ終わりはない
ことも同時に意味するのだが、それは伏せておく。自分に
とって、都合の良い提案だと揺るぎなく思い込むまでは、
時間オーバーするような課題を与えてはならない。


そうなってしまえば、宿題程度ならば、初めて、終わるまでの
間に、退屈だと思う瞬間などすらよぎることがなくなる。
そうなれば、時間的拘束のような外的圧力など必要なく、
特に勉強に対して退屈・苦痛だと考えることもなく、
終わらせて次ぎを考える登下校のような通過的障碍に
すぎなくなっているだろう。


でもそこで、何時までも一定時間の拘束だけを厳格に行って
いては、退屈な時間をただ耐えるだけの忍耐力が養われてしまう。

それは一種の仮眠状態。脳を体を休ませて次の遊びに備える
だけの時間となってしまう。どうせ、時間が経てば解放される
のだ…と。

これを続ければ続けるほど、勉強は退屈なものだとの確信は
深まるばかりだし、与えられた課題や自らに降りかかる災難を
自らを成長させて達成・克服する覚悟すら失われてゆく。
不況にはただひたすら耐える。耐えれば夜明けが見える。
開けない夜はない。止まない雨はない。…と。

この段階の人間の存在を考えると、学級崩壊時代の今と、
形だけは整然と行われた四半世紀前の授業と、どちらが
マシなのか判らなくなってくる。



そして、
決められている平均的スケジュールにガッチリ添って、
完璧に授業を行っているのだから、落ちこぼれるヤツが出れば、
すべて、子ども自身がバカか怠慢なのだ…と決めつける教育は、
教師としては楽だろうが、賢い教師ではない。


一部のエリートと引き替えに大量の指示待ち人間を産み出した
半世紀前からの教育によって構成された今の社会と、学級崩壊状態で
あっても、自分の行為の結果として未来が変わると感じる素直な感覚を
失われていない人間によって作られる社会。それらのどちらが良いのか。

もちろん、課題達成能力もあり、一般教養も備わっている人間が
一番良いことは大前提としてあることは揺るぎはしない。

その一挙両得を究極として目指すのではあるが、そこへ至る道として、
どちらの迂回ルートを優先すべきなのか。考えてみても良いのでは
ないか。