江戸しぐさ支配体制

  • 2009/05/10(日) 12:05:16

商人道「江戸しぐさ」の知恵袋 (講談社プラスアルファ新書)
越川 礼子
講談社
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江戸しぐさの神髄は、それを反射神経に組み込むこと
なのだとか。

差別をしないだとか、常に下手に出るだとか、
商人気質としてイイこと言っているんだけれども、

これこそが、思考停止にし、人を空気の奴隷にする
根源的な構造を作り上げる
ことを考えると、
憂鬱な気持ちにしかならない。


その慇懃無礼…立場が上の者が頭を下げるから、
その行為に効果がある
のであって、そこに
謙りの精神など、まずないものだ。現実には。


著者は考えるべきだろう。
いわゆる役人言葉や銀行員対応というものが、
表面上、ここで言うような「江戸しぐさ」と
いかに似ているかを。

そして、言葉でその内実をいかに美辞麗句で
語ったところで、今の役人仕事の欺瞞に
大衆がどれほどうんざりしているかは
言うまでもないことであろう。


同じように、当時を知らない者がいくら懐古
してみても、当時の江戸町民にとって、どれほど
強固な既得権者であったか、想像に難くない。


著者は「その精神をどこに忘れてきたか」と
仰っておられるが、そんなたいそうなものか。
と、問い返してみたい。



既得権の上にどっしり乗っかっていて、
それが脅かされる心配が一切無いからこそ、
自信を持って、平然と謙り、頭を下げることが
できるのだ。

「稔るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

この言葉は、元々その真意として、
そんな意味が籠められているのだろう。



銀行員も官僚も、安い頭などは平然といくらでも
額ずいてみせることができる。謝罪会見を繰り返す
大企業の役員連中も同じ。

その裏で、彼らの既得権はむしろ着々と強化され、
不動のものとなってゆく。国民大衆の犠牲とともに。


それが限界となったときに、国もろとも転覆したのが
江戸時代の終わりだったのではないのか?!



「用心しぐさ」…そのような排他性を、きちんと廃す
ことができたからこそ、戦後日本は高度成長を成し遂げ、
一億層中流をまがりなりにも一時信じることができた
のであろう。


そして、その「用心しぐさ」が生きていたからこそ、
信じる者は騙されて、その裏で、着々と自分たちの
権力強化に勤しんでいたわけだ。結果として、
富は二極化し、学歴格差と呼ばれる現状もできてきている。

金融の世界では、すぐにブラックリストが作られる。
知るもの同士の仲では情報はすぐに伝わる。
そのようなネットワークの中から見れば、異分子は
直ちに排除される。筆者が指摘する江戸しぐさは、
確実にこの日本に根深く残っている。非公式には。
役人世界でもそれは同じであろう。

筆者が日本を嘆いているのも、古い江戸しぐさに
囚われていて、現代の現状の「江戸しぐさ」の
その網の外に居るから気付かないだけであろう。


著者の言うように、しっかりとそれは生きていて、
法律でもない見えない力で排除された者が、
マスコミによって袋叩きにされている現状から
そのようなものが存在することは、十二分に
推察できるはずだ。



例えば「隠語」。
それを自分がすでに知っているからこそ、その立場から
隠語を評価することができるだけだ。教養だ知恵だと。

例え、深い意味と広い教養があってこその隠語であった
としても、それを知らされていない立場にあれば、
筆者はおそらく、美しい日本語の乱れだ崩壊だ…と
嘆くに違いない。

例えば若者言葉。それを用いるのは、実効が伴った
意味があるからこそ広がるに違いないのに、
それを知ろうとすることもなく、若者は非難される。





江戸しぐさとは呼びたくはないが、現代でも
様々な摩擦回避のための「しぐさ」は沢山ある。
むしろ、江戸時代なんかよりも複雑多岐な「しぐさ」が、
強要されていると言えるかも知れない。それが例えば
「空気を読む」という言葉だ。子どもがノイローゼに
なるほどに、それに振り回されている。


ただ、「江戸しぐさ」と同じく、「くせ」として
無意識に組み込まれているが故に、誰から教わったかのか
どこから身につけたのかをさして意識するく、また、
自分がそのような無意識の行動を取っている自覚も
殆どまったく無いはずだ。

些細なことで「野暮だ」「嫌った」「最低だ」と
実際には排除の論理をもって展開する筆者の弁が、
またったくもって彼女の言う現代人っぽい。

現代の摩擦回避行動に助けられていることに
感謝することなく、一方的に現代を腐している
のではなかろうか…。



江戸しぐさを説明する例え話の中にも、いくつも
そうでない人間の存在が不可分に語られている。
いくら江戸を褒め称えても、そういう人間も居たのだ。
そして今も居る。両時代を比べて、その存在比では
どうだったのだろう? さほど変わらないのでは
なかろうか。


そしてなにより、江戸しぐさがそれほど超人的に
素晴らしいものだったならば、その文政期の豊かさ
とやらは、何故に落ちぶれたのか? 外圧による開国
までにはタイムラグがある。
さて、その事実にはなんと答えるのだろう…?