すべき世襲制限とは

  • 2009/04/28(火) 11:29:02

今、議論されているのは、よく言われる
「ジバン、カンバン、カバン」の中での、
カンバンの事ばかりだ。つまり、前職との
血縁関係のことばかり。愚かしいことだ。


問題が大きいのは、ジバンという後援会組織と
カバンという金。相続税の非課税状態だ。


ジバン
後援会組織としたら、別に利益構造が温存されるならば、
後任・後継者が、血縁だろうがそうでなかろうが、
ほとんど関係ないだろうからだ。むしろ後援会を組織して
いるビッグブラザーのような者の方が、その権力構造を
掌握している場合も少なくあるまい。そこを切り崩すことが
できなければ、議員というピエロが誰であろうが、
どんなにグズで無能であっても台詞を暗唱できる
役者の素質が多少あれば務まるのかもしれない。


そしてカバン。

相続税が不要であることが如何に優遇されているかは、
相続税がネックになって家業を畳まねばならなくなる
者の話を持ち出すまでもなかろう。


つまりカンバンが通用するのは…、たとえば
「急逝した父の使命を娘が継ぎます!」などといった形で
上記のようなジバンとカバンの後ろ盾が盤石に無傷で受け継
がれていることが担保されているという前提があるからだろう。

単に血縁であっただけで、後援会も資金も無いような者が
仮に立候補したとしても、他の冷やかし立候補者と同じ扱いで、
そのカンバンを看板として十分に利用する事すらできずに
消えて行くであろう。

欺瞞は純真さのなかに宿る

  • 2009/04/27(月) 17:18:26

嘘というものは、もし言葉が本来、そして普通には誠実なものであるとしなければ成り立たないであろう。贋金は正貨にささえられ出回るのだ。つまるところ欺瞞は、純真さのなかに宿る卑しい寄生虫ということになる。・オルテガ・イ・ガセット/大衆の反逆(桑名一博・訳)



犯罪の増加は、モラルの低下のみが原因ではない。
むしろその逆である場合もまたある。ということだ。

昨今のそれと、その問題提起のあり方に対する私の違和感にも通じる。
しかし、それも、違和感ではなくなりつつある。マスコミが煽ったから
だと言える側面もあろうことが惜しい。




cf.
↑前段に
われわれは言葉を、自分の考えを表現するための手段であると定義している。しかし定義というものは、それが本当らしく見えるときでも皮肉なものであり、暗黙の保留をそっと秘めている。したがって、定義をそのようなものとして解釈しないと、忌まわしい結果を生むことになる。たとえば、言葉が我々の考えを隠匿するために、つまり嘘をつくためにも役立つというのがそのほんの一例である。


↑後段として
いや、私が言いたいのはそういうことではない。言葉は考えを表現するという定義の最も危険な点は、それにまつわる楽観的要素である。なぜなら、その定義自体は、われわれが言葉を通して自分の考えのすべてをじゅうぶん適切に表現することができるとは保証していないからである。さすがにそこまでは保証していないが、しかしまた、われわれに厳格な意味での真理を率直に見せることもない、つまりその真理とは、人間は根源的な孤独を宣告されているので、人間にとっては相互理解は不可能であり、人は他人に到達しようとする努力で憔悴しているということである。

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芸能人にとっての自粛・謹慎

  • 2009/04/24(金) 17:16:13

問題行為の発覚と自粛・謹慎

お笑いならば、“芸の肥やし”として、
丸坊主で公開土下座会見でもするのだろう。
その方がよほど謝罪の意味が通じるもんだ。
気の済むまで袋叩きに遭いながら仕事を続ける
ことに潔さも感じる。


自粛・謹慎というものも、収入の源泉である仕事を
形の上で奪われている訳で、それをペナルティを
科されていると受け取る上では謝罪の一形態である
と言える行為ではある。

しかし、起こした問題のイメージが、芸能人の
イメージを傷つけ、商品価値を落とすようなもので
あった場合は…、

全く謝罪の意図などは無く、完全に利己的で
打算的行為として、活動の自粛を行う…、

…という行為に出ることも、全く持って合理的な行動
でもある。



汚れ芸人が不祥事を売名行為の舞台として利用する場合も、
そこで行われている行為がどんなに自罰的で謝罪の定式に
則っていても、そこに謝罪の感情・意志があるかどうかは
甚だ疑わしいように、活動の自粛という行為も、その機関の
長さによって反省と罪の意識を測れるという訳でもない。

人の噂も七十五日。犯罪を起こした議員の息子が海外留学に
出されるように、罪の意識が無いからこそ、自粛に逃げる
と言える場合もあろう。