教育の異なる順序

  • 2009/01/17(土) 12:26:22

人は、

 単語 → 文法 → 長文
 (単純)  (発展)  (難解)

…というような、学校教育的なスタンダードな
順序で、人は物事を習得している訳ではない。


単語の意味が解らなくても、文章を用法として
丸ごと覚える側面もあるではないか。
「おはようございます」「ありがとうございました」
「ごしゅうしょうさまでした」等々から、
流行歌のフレーズまで、小さな子どもはそれらを
単語や文法に分解して理解している訳ではあるまい。

大人の発するがままに模倣して、似たような状況、
同じシチュエーションに即応して使ってみている
ところから始まるものだ。


子どもがその意味の解るはずのない
大人の情事を詠った流行曲であっても、
それを覚え喜んで歌っている子どもは、
その歌で、どんな大人が喜ぶかは判る。
判って使っていたりもする。

それを大人になってから理解する事になる。
そんな順序であったって良いであろう。
逆順であっても血肉になる。

ただ、暗唱のレベルで理解に至っているとは
言えないだけで。
解ったことだけを答えることができる…と
いうことを前提にしていなければ、いわゆる
テストの正当性が揺らぐということもある
のかもしれないが。


 単語 → 文法 → 意味

 流暢 → 抑揚 → 部分的発声

ほとんどの教科書は、世の全てが解った気に
なった者が、その体系を効率的に引き出せるように
最終的に整理・編纂した その手順に添って構成される。

それを編纂した者が、全く同じ手順で全てを修得した
はずもなく、多くの場合そうではないものだろう。
後の人間はいざ知らず。