誰でもよく…なければ、

  • 2008/11/19(水) 21:51:57

誰でもよかった」その思考パターの起源が、
きちんと市場原理主義…経済至上主義であるのだと、
顔の無い価値基準…拝金主義に他ならないのだと、
きちんと認識し、言論界は対応してゆかないからこそ、
このような事件が招き寄せられるのだろう。…と、
私などは考える。


誰でもよかった」は、凶悪犯罪者独特の思考ではない。
商売をするほとんどにとって、客は誰でもよいはずだ。
インターネットで不特定多数にメッセージを発する主体も。



誰でもよかった」を言葉尻で非難していれば、
社会的に不満・鬱憤の貯まっている者や、
そもそも世間を騒がせたいと考えるような輩は、
それなりの「理由を付けて」犯行を行う方向へ
向かわせることとなる。
それは、オレオレ詐欺が
様々な政治制度的な改正や経済状況の変化を
敏感に取り入れて犯行を発展させている事と
ある意味同じ雰囲気を汲み取って派生する。
イジメをする者に問えば、それなりの「理由」が
前後倒錯された間に準備されているのとも同じで。

「だったら、意味のある(ように受け取られる)
              奴を標的にしてやる!
と。

このような言い方をしたら不謹慎ではあるが、
そのような考え方が醸成されてしまったならば、
世間一般大衆ではなく、社会的に重要な要職を
担っている者ほど対象になりやすい訳で、それは
そのような社会は、そうでなかった時代に比べ、
社会的コストが飛躍的に増すとともに、混乱による
経済的損失も増すことになる。

人間の命の価値は誰も同じだと言っても、
不特定多数の一般人が標的になっているよりも
社会的損害は大きい。

これまでの言論の流れは、そのような状況へと、
メディア対応が誘導しきたように伺える。

特定の人間だけ守れば十分だと割り切って考えてしまえば、
国民全体を守ろうと考えるよりも低コストだ…とも言える
のでしょうけれども。




もちろん以上は今回の事件…元厚生事務次官連続殺傷事件…が、
社会的弱者の被害者意識から生じた理不尽な逆恨みによる
報復である…軽薄な正義感であろう…と仮定した場合の話。

彼ら二人でなければならない限定的な怨みである可能性も
考えられなくはない
から。

基礎年金のような、社会的弱者…日本国にとって役にも立たない
お荷物に対して財政負担をしなければならない制度を、奴らが
作りやがったから、今、我々が理不尽に国民から非難の標的に
されているのだ…というような観点からの恨みは、そう考える者
にとっては論理の帰結であり逆恨みではない。
国民大衆の側から見れば、逆恨みに他ならなくとも。

また、国家の財政危機の原因を作った…せっかく集めた税金や
税金同然に考えている保険料を、役にも立たず国家に功績も無い
ただ生き残ってきただけの老いぼれに流すのは勿体ないと考える
為政者や国家主義者の側からすれば、国賊に他ならない存在である
とも言えるだろう。そのような者にはこれは天誅に他ならない。


よって、
この犯罪に対して拍手喝采してしまうような国民は、
年金行政や官僚主権に不満を募らせている者(の一部)のみならず、
戦後民主主義を俗悪に媚びる堕落に他ならない非難してきた
ような連中
にとっても、反応は同じなのかもしれない。
客観的にイデオロギー的に将に正反対にある存在が似たような
反応をもたらすかも知れない事件としても、この事件は
時代の狭間を垣間見せるもだと言えるのかもしれない。


ちょうどこの前の日曜日に、田原総一郎が番組中、今後
政治的テロが起きるであろうかの予言めいた発言をして
いたのがなんとも印象的だ。そこでは、彼は田母神論文に
関して5.15を想起していたのだけれども。ただ私が同じく
過去の時代に喩えるなら戦前よりも幕末のそれに近いのでは
ないかと思うのだが…。