「政治家」と「政治屋」

  • 2008/09/30(火) 12:21:51

昨今、政治家政治屋を呼び分けて、政治屋を腐している。

よく考えると、これは危険だ。


そのように呼び分けて糾弾しようとしている対象とは、
政治活動による利己的・特権的で利権にすがるだけの
保身に対する揶揄であって、その主張に限定された
上では、同じ言葉に同意できる。

しかし、
政策を持たず地位にしがみつく者の側を「政治屋」と
呼ぶのは、間違っていないか? 字面から観れば「政治家」こそが
「家」という制度・地位・身分を示しており、理念・政策を
目的とせず、世襲によって受け継がれることを目的とする…
移り変わる時代の中を日和見しながら継続し続ける利己的集団だ。

信念を貫かなかったからこそ生き残っている逆説的な存在だ。
「家」という言葉によってそれを標榜しているではないか。


政治屋という耳新しい言葉を、○○屋という経済的な存在を示す
言葉として金儲け主義を連想させることから、クリーンではない
国会議員に対するレッテル貼りとして都合が良かったのだろう。

が、商売の世界は市場主義の世界は、不要なものは排除される
ことをも意味するはずだ。指揮管理能力を持っていなければ、
世に役に立つ新しい法案を、常に「売り(比喩的に)」続けて
いなければ、すぐさま潰されることを覚悟している者でなければ
行えない活動であるはずだ。店頭に何も並べていないくては
商売なんてそもそも成り立たないからだ。

政治家ではそうではない。家であってはその永続性にこそ
価値を見出す。ただ在って続くことに価値がある。

変遷する時の中では、自己保身のために前言を覆し、常に
大勢に付いていなければ、継続的に身を保ってゆくことは
できない。一時も下野できない。
そして今の自民党は正にそうなっている。

総裁選の度に醜く勝ち馬に雪崩れている。



故に私は、昨今の風潮に逆らって「政治屋」こそを求める。
政治家」なんて要らない。


そんな連中こそ、国家の“お荷物”なのではなかろうか?
とすら思える。

世襲の特権など、天皇家だけで十分だ。いや、そのような
特権を個人が求め守ろうとすることが烏滸がましい。
皇統に対する不遜不敬なのではあるまいか? と言えば
言い過ぎだろうけれども。




今、「政治屋」ではなく「政治家」を…などと、
そのような言葉を意味なく多様していれば、必ず、
その中身は失われ、字義通りの意味が通用するようになる。

文字通りの「政治家」…世襲の殿様藩主として、
封建社会を無意識的に受容して行くことになる。





ちなみに、蛇足ながら…。
私は「議員報酬の削減」には賛成しても、
「議員定数の削減」には反対だ。

監視の目が行き届くようになるだとか大マスコミは
最もらしいことを言っているが、それは官僚や
党幹部にとっても同じ事であり、個別議員を買収や
強迫や監視管理を行うことを容易にすることでもある。
ただでさえ数あわせの投票要員でしかないそれを、
より強化させることにもなりかねない。

少数意見の汲み上げのためには、選挙制度と共に、
国民総数に見合ったそれなりの議員数は不可欠であると
考える。予想外の所から思いもしない提案が出てくる
かもしれない可能性を準備することこそが、民主主義の
本義であり価値であるのではなかろうか。