血縁主義と言われても

  • 2008/09/25(木) 20:06:36

「性」を汚らわしく汚らしいと感じ考えている
決して少なくない女性達も、これまで我が子を得るために、
その痛さ気持ち悪さをガマンしてきたように…

性同一性障害の方々にも、生殖能力があるならば、
自分の子どもを得るという喜びと生き甲斐を得るために、
「工事」なんてしてしまわないで欲しいと思う。

どんなに言ったって、その目的を叶えるためには、
“性的な異性”…精神的なそれではない…と、
関係を持たねばならないのだから。


「亭主元気で留守がよい」と言っている主婦同士で
毎日のランチを外食で楽しんでいるような方々も、
子どもはかわいく生き甲斐であるはずだ。


私としては、法的な「常識」をこそ変えるべきであって、
それを前提として自分を壊して欲しくない。
本人は「治す」というつもりであっても。


性の同一性に障害が無くとも、生まれながらにして
…もしくは後天的病によって、生殖能力を失ってしまう
者も居る。彼ら彼女らからすれば、勿体ないことだろう。
羨ましいほどに…。

彼ら彼女らも、愛する人に子どもをつくってあげられない
という意味では、そして性同一性障害の方々と同じ様な
愛の壁があると言えるのではなかろうか…と考える。


外見的なジェンダーで云々することを絶対視しているから、
法の側を戸籍の側を変えようとすることのみが解決になって
しまい、「工事」のようなことが強制されてしまう。

外見的なものを絶対視しなければ、戸籍的には性的な
関係性が描かれていると割り切ればよく、それは単に
実子の継承がなされている可能性があるかないかだけを
測るだけのものとなってしまってよくないか? と思う。
昔から養子という存在が認められているのだから、
そのような意味において養育者が外見的古典的ジェンダー
に捕らわれた男女の両親でなければならないとさえ
考えなければ、「工事」などしなくとも、生殖能力の
破壊を条件にするような残酷な条件を付す必要も無い
ように思う。

今後、ますます雇用状況が悪化するであろう中で、
両親共働きであっても、子どもを一人育てることすら
困難であり、躊躇するような中で、社会的にも経済的な
基盤も持たずに子どもを持つなんてけしからん!と
非難される中で、いっそのこと、戸籍は相続の条件の一つと
割り切って、一人の子どもを男女を問わぬ数人の大人が
養育することを表明するような形の戸籍をも認めてしまえば、
必然的にジェンダー問題も性同一性問題も、それらの
バリエーションの一つの中に溶け込んでしまうのではないか

と考えるのだけれども、…このような考えは温いだろうか。