煽動と支持の根元的な二重性

  • 2008/09/24(水) 23:58:46

例えばホリエモンは今、犯罪者扱いになっていますが、
あの時代、あの瞬間、彼が言い、彼が演じた役割と
キャラクターは、その時代に必要であり求められていた
欠かせないものだった。と思う。

彼に憧れ、彼をモデルに、「日本を良くしよう」
「自分がみんなを引っ張って、この国を豊かに楽しくしよう」
そう信じ、誓った子ども…のみならず、若者もいっぱい居た
でしょう。

今、彼が逮捕者として没落してしまった。

だから、それらはみんな間違いだったと言うべきなのか?

彼がその理想に、相応しい人間であったかどうか…
その実体は、どうでも良いこと。

彼に理想を見て、自分の理想…正義や夢を見た者たちの
その時採った決断や行動をも、彼が逮捕されたことによって
全て間違っていた言えるでしょうか?


それと似たことが、小泉さんに対しても言える。


多くの日本人が、そこに理想を見て、信じ、行った決断や
実行を、良いと信じて動いた人々の現実に成したことは、
それがどちらであっても良いことであし、そのことが
動くことはない。

その意味で、彼が良い影響を日本に与えた人物であると
言えなくはない。その意味で間違いであるとは言わない。


しかし、ホリエモンの例で見たように、ホリエモンに憧れた者の
多くが良い者であったとしても、彼は(刑は確定していないけれども)、
犯罪者である。その罪は償わなければなるまい。

似たことが小泉さんにも言える。政治家は結果責任だから。
動機や人間性を問うていてはいけない。

彼に憧れ、彼に感化されて良いことを行った者が仮に多かったと
しても、彼そのものの善悪とは関係ない。それはホリエモンの例と
同じで。



衆人が良いことを行ったのは、小泉さんのおかげでもなんでもなく、
個々人そのものが良い人だったからだ。仮に小泉さんがあのような
形で出ていなくとも、そのような者なら、別の誰かの景況を受けて、
同じ頃、同じように良いことをしていたはずだ。


歴史にIFが無いように、そのような方々が良い行いを行った切欠が、
小泉さんであったということは、消せないし、変えられない。
その意味での小泉さんのおかげということを、塗り替えようとは
思わない。小泉さんの行ったことがどうだったかに関係無く
立派な方は立派だ。

小泉さんをくさすことが、直ちに支持者をくさすことではないし、
であってはならない。

変に小泉さんを崇拝することは、そこの大切なところを歪めてしまう。
変に肯定することによって、小泉改革の酷さが明らかになるほどに、
彼らを、善良な方々を、肩身の狭い境遇に追いやってしまう。それは、
先の戦争で、大切な人を守るために立ち上がった軍人さんたちをも、
戦後、悪人扱いしてしまったことと同じ過ちを繰り返すことになって
しまう。



本質は「あなたとは違うんです」と言い放った福田前総理。
そのようにずっと国民を見下していたであろう本性を隠して、
中国から「のび太くん」と言ってもらい、「国民目線」を語れば、
その時、目の前に現に拡大してつつある格差に対し疑問を感じて
いた多くの国民は、実は自分も切り捨てられた側に居たのだと
気づいた多くの国民は、そのメッセージに飛びついたし、
そのメッセージを信じて弱い者の身方を貫こうと思った者も、
少なくなかった。
福田さんの本性がどうであれ、行った政治が何であれ、
その良き影響をもって、彼が立派だった必要な人物だったと
言うべきでしょうか?

同じ台詞は彼でなくても言えたし、言っている者は居た。
小泉さんにおいても、それは同じ。



一年前、「麻生VS福田」の総裁選において、
「麻生→福田」より「福田→麻生」の方が、自民党は長持ちする
だろうと考えた。

考えたとおり、世論の空気は脚色されたイメージによって、
やはり福田さんを選んだ。その、時代の求ているキャラクターや
印象の選択としては、間違ってないかったし、その意味での
正しさは私も支持します。

しかし、そのようなキャラクターの選択をいくらやっていても、
政治は変わらないし、社会は変わらない。
それは、本来、芸能人のような人々が担えば良いことだ。