ストレスマネジメント教育

  • 2008/09/23(火) 11:17:08

今の時代若者は「見られていない不安」を克服する
処方箋が必要だと言われたりするようになった。

幼稚な被害者意識の処方箋としての自意識過剰
を恥とする視線を意識させることがある意味
ステロタイプな対応策とされていた
…ように感じる。
1980年代の若者は、そのようにして
「見られている不安」をある意味克服した。


依存症になりがちな携帯メールでは、
それを用いることで求める視線の補完として
の処方箋にすることは難しいだろう。

案外、メールの最速や、返事の早さが
幼稚さの証…だとからだ! …と言ってしまうことで
その依存症的傾向の処方箋にはなるかもしれない。


話戻して、
古来宗教がそれを担ってきたように
「見られていない不安」を解消することは、
当人の意識の問題だけで解消することは難しい
のかもしれない。「神」を持ち出すほどに。

より遠い昔の自分との変化と連続性を、
常に身近な他者に指摘されるようなことが、
そして、自らもそれを行おうと心がけることが、
見られている意識を醸成するのでは。

幼き頃の失敗談をことある事に披露された、
家庭にTVの無かった時代におけるそのような
娯楽が…その瞬間不愉快で無くしてしまいたい
と強く願ったとしても…、結果的に見られている
安心感を(不安感も伴って)支えていたのだろう。

強い感情ほど、強く記憶に残るものだ。
不愉快な繋がりが無くなることがむしろ、
人間の関係性を希薄にし、孤独へ導いて
いるのではなかろうか。例えば、昨今の
過剰なイジメ掃討作戦によって…。