手抜き式管理教育の結果では

  • 2008/09/21(日) 00:11:45

教師の、クラス管理の手抜きのための立前として、
「友情」だとか「自主性の尊重」だとか飾り立て、
なんでも「ともだちグループ」で済ませてきたことに、
そもそもの間違いがあったのだろう。


それにより、生徒はなかよしグループに引きこもり、
好きでもない子(面識の無い人)と付き合うことを
苦痛に考えるようになり、それが隠匿される中で、
多様な付き合いを学ぶ機会を失ってしまった。

結果的に、子ども達からは、積極性も自主性も失われ、
それしか知らないというような仲間内によって、
「他の誰でもないこの子」という友情の“特別性”を
意識する状況も、実感する機会も持てなくなって
しまっているのだろう。


もはや、教師が外見から「なかよしグループ」だと
見立てても、その実体は
「他の誰より自分にとって気の合うその子」
ではなく、最初に席が隣だったとか、たまたま初めに
声をかけた(かけられた)だけ…というような、
他の選択肢を意識することの無い、成り行きに
身を任せるだけの関係
になっているのではなかろうか。



そして、
ドラマもどきな平等教育や、脅迫的なイジメ批判(≒差別)が、
子どもが好奇心から他のグループへ移ることを、あたかも
「悪」的な行為にしてしまう。
「AさんよりBさんを選んだ…逆に言うと、Aさんを捨てた」
ひいては
「魅力のない人間だと、付き合う価値の無い人間だと認定した」
とでも言うように、時に「イジメられた」とも呼ばれかねない
ものとなってしまっていやしないか。
そのような脅迫的な観念に縛られているのでは、どんなに辛く
とも、一度定着したグループは抜けられない。